レーに着いたその日、軽度とはいえ初めての高山病にやや参りつつ、それでも僕はいくつか写真を撮っていた。少しでも多くの情報を外部記憶装置に残そうとするかのように、あるいはその光景を見ていた時の心情や気持ちのゆらぎを思い出すトリガーになってほしいと願いながら。 冬季は街なかのほとんどの観光客向けの店が閉まっているが、メインバザール沿いの店はいくつか営業していた。残念な事にインドのそこかしこで見かける土産物屋と大差がなく、高価なパシュミナが並んでいる。ラダックにおいてこのような店を経営するのはラダッキではなく、カシミールからやってきた人たちらしい。 僕を驚かせたのは、思いの外、冬季のレーがものに溢れ、そして車道が綺麗に舗装されていることだった。毎日停電に見舞われることの不便は後ほど思い知らされる事になるのだが、それにしても豊かだ。文明的な生活に必要なものはひと通り揃う。それもこれも、この地がインドにとって軍事的に重要な場所だからなのかもしれない。インド軍払い下げと思しき品々を売る店もいくつかある。 とは言え、やはり新鮮な肉や魚を扱う店を目にすること少なかった。基本的に町端で売られているのはそれなりに保存の効くものばかりだった。乾燥した冷たい空気の中にあって、売られている食べ物はどれも鮮やかに見える。 レーの街は賑やかだった。そして、季節外れの旅行者の来訪に比較的無関心だった。 お陰で僕は、気の向くままに往来を歩きまわり、のんびりとレーの人々の生活の一端を眺めることが出来た。 インドの見知った街のように、そこかしこにチャイ屋があるわけではない。歩き疲れ、どこで一休みしようか迷ってた時、チベット料理屋を見つけた。例に漏れず暖房なんて気の利いたものは無かったが、出てきたタントゥクはカレー風味に味付けされ、暖かかった。 人通りの少ない路地で焚き火を起こし暖を取る男達のそばを、ひとりの老婆が通りすぎようとしていた。 「ジュレー」 通りすがりに老婆が口にしたその言葉を聞いて、僕はハッとした。 ラダックに関するブログやガイドブックを読み漁り、何度も目にしていたラダッキたちの挨拶の言葉。その言葉を初めて音情報として認識し、得も言われぬ驚きが身体を突き抜けた。街を歩き回り、もやもやと