2016年の年末、僕はチュニジアに旅に出た。 なんだかんだで初めてのアフリカ大陸である。最初はタンザニアにでも行こうかと思っていたんだが、なぜこうなったかは経緯をよく覚えていない。 いつの間にか、青い地中海と沿岸の白壁、砂塵が顔面を容赦なく刺すサハラ砂漠、カルタゴだ、ジャスミン革命だと、とにかく気分はすっかりチュニジアになっていた。勿論、僕は天邪鬼なのでエジプトやモロッコはハナっから候補外だ。 ▲バビブ・ブルギバ通り沿いの大聖堂 チュニス・カルタゴ空港から市内へは10分そこらで着いてしまう。首都ながら、こじんまりとしたサイズ感の街である。人口も100万程度らしい。 ジャスミン革命を報道する記事等でよく見ていたのがバビブ・ブルギバ通りというチュニスきってのメインストリートだが、当時、国旗やプラカードを掲げ通りを埋め尽くしていた人々はどこかに消え、空間を持て余したその様相からはどこかもの寂しい印象さえ受けた。ただ、革命後ならではと思しき光景も所々に見て取れて、それは、ジャンベかなにかを打ち鳴らす人がふと現れ、その周りに徐々に人が集まり、熱気を帯びていく様であったり、そういった群衆が何かのキッカケで暴れ出さぬか警戒している何台ものパトカーと警官たちであった。 そういった群衆は時に数十人規模にまで膨れ上がり、集まった人々の輪の中心では踊りだす人たちも見受けられる。でもその衝動は、何かを強く訴え、物事を変えんとするような力に昇華することはなく、ただただ発散して1時間もすれば消えてしまう。まるで海底からぷくりと吹き出した水泡がふわふわと浮かび上がって水面で泡となり、ぱちりと割れて静かに大気に吸収されていくかのように。そんな様子を、通りに面した宿泊先のホテルの一室から見下ろしていた。 ▲メディナ(旧市街)の入り口となるビクトワール広場 チュニジアでは古くからある市街地の事を「メディナ」と呼ぶ。同じメディナで有名なのはモロッコのマラケシュのそれだが、一体北アフリカのどこからどこまでの地域でこのような呼称が使われているのかよくわからない。 チュニスのメディナの入り口はちょっとした広場になっていて、その淵にはパリを彷彿とさせるようなオープンテラスのカフェが並んでいる。人々はそこで新聞を読んだり、買い物帰りに一息ついたり、友だちと談笑をしていて、