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5月, 2013の投稿を表示しています

アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン

長年、激しいスコールや強烈な熱気に晒されながらも、レリーフはその美しい原型を留めている。 倒れた石柱に描かれたレリーフからもヒンドゥー教色を見て取る事ができ、やはりこのバイヨンも純粋な仏教寺院ではないことを悟る。軽く調べてみると、当初は仏教寺院として建てられたものの、クメール人の信仰の変遷と合わせてその様相が変わっていったらしいことがわかった。 アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されている。当初は大乗仏教の寺院であったが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化した。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどからも推測できる。  wikipedia - バイヨン バイヨンから少し北西方向に歩くと、バプーオンと呼ばれる寺院にたどり着く。 この頃になると日が高く登り、とにかく暑かった。空は清々しく青く、そして炎天である。 石造りの道の上で、ふと思い立ってサンダルを脱ぎ裸足で立ってみると、火傷を負うのではないかという程の熱さで、灼熱のバガンが思い出された。 この寺院も回廊に囲まれる形となっており、回廊の内側には、チェスの駒のような短い石柱が立っている。 恐らくだが、雨季にはこのスペースに水が溜るのではなかろうか。石柱の上にはその水面を渡る為の足場が掛かっていたのかもしれない。 寺院上部には屋根のついた回廊がある。通路の左右から少しずつ内側にせり出すように石が重ねられた構造になっており、単純な作りであったがいまだに堅牢であった。 バプーオンの出入り口の脇には、「象のテラス」と呼ばれるテラスがある。王たちが閲兵を行う為にわざわざ作られたそうだが、その手すりにもいちいち見事なナーガの彫刻がくっついている。 こちらは「象のテラス」の隣に作られた「ライ王のテラス」である。三島由紀夫の戯曲のタイトルにも使われているテラスである(残念ながら未読)。昭和40年に彼がアンコール遺跡群を訪れた際、このテラスの上に座するライ王の像を見て戯曲の構想を得たらしいが、

アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ

シェムリアップに到着し難なくイミグレーションを通過した僕は、パブストリートと呼ばれる外国人向けの飲み屋通りに近い位置にゲストハウスが並んでいるのに目をつけ、そこを目指した。 さすがは世界的に有名な観光地というだけあって、空港から市街地までのタクシー運賃は厳格に決まっていて、交渉の余地はなかった。当然ドライバーがふっかける余地もない。 市街地までタクシーを運転してくれたドライバーは、翌日以降の遺跡巡りの足として雇ってもらおうと車内で営業トークを繰り広げはしたものの、もっと安い足を探すからと断ると、すぐに引き下がる謙虚さを持ちあわせていた。他の諸外国のクソみたいなタクシードライバーに比べるとかわいいもんである。 レストラン圏バーを併設し、日中は旅行代理業も営んでいると思しきよくあるタイプのゲストハウスに狙いを定めた。空き部屋の状況を尋ねたところ、良い部屋があると言う。通された部屋はある程度のセキュリティが担保されていそうな上にホットシャワーまで出たが、1階だったので即決しかねていると、すぐにこちらの意図を察して上の階にある同様の部屋を紹介された。 時刻は既に夜9時を回っていた上に、提示された宿泊料が相場とそう乖離してないであろう値段だったので、無理に宿探しに時間を割くことをやめ、早々に荷を降ろした。 翌日以降のアンコール遺跡群への足について宿のスタッフに相談すると、トゥクトゥクとバイクタクシーと自転車の3つの手段を提示された。トゥクトゥクのチャーター料金を聞くと、許容できる範囲の額である。流しのドライバーを捕まえればもう少し安く抑えられるとわかってはいたものの、切り詰める必要もないし交渉時間を買うつもりで宿お抱えのドライバーを雇うことにした。 さっさと決めることを決めた僕は、夜のシェムリアップの街をぶらぶらと散策し、幾ばくかのビールを啜っていい気分になってぐうと眠った。(この日の夜は写真を撮り忘れている) 翌朝、のそのそと部屋を出ると、その日チャーターするトゥクトゥクのドライバーが既に待ち受けていた。いかにも誠実そうな面構えに少し安心し、簡単に自己紹介を済ませてすぐに出発することにした。 カンボジアのトゥクトゥクは、タイのそれと違い、バイクの後ろに二輪の荷台を無理やりくっつけた形状をしている。簡易な作りだが、しっかり屋根は付いて

アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール

GWに休みが取れそうなことを見越して、早いうちからシンガポールまでのチケットを押さえていた。特に行き先が決まっていたわけではないが、どこへ行きたくなっても、バンコクもしくはシンガポールまで出ておけば大抵の所までは飛べるだろう、そう考えてのことだった。 いよいよGWが目前に迫ったころ、未だ訪れた事のない国々の名前を思い浮かべてはシンガポールからのチケット代を調べ、ノートPCのディスプレイの前でさんざん腕組みをして悩んだ挙句、カンボジアはシェムリアップ近郊にあるアンコール遺跡群へと足を運んでみることに決めたのであった。安く上がりそうだし、東南アジアへは散々足を運んでいるものの、なかなか縁のなかったアンコールワットといい加減対面しておくかという具合である。 ハードな長距離バスでの移動などは介さない、LCCを駆使した快適な旅程を組んだ。しかも訪問先は誰もが知る観光地中の観光地、宿や両替所、市内の移動手段となろうトゥクトゥクやバイクタクシーの数は保証されており、気楽なもんである。 成田から台北を経由しシンガポールへと向かうスクートの便はしばしば部品到着の遅れやら何やらでディレイすることがあるが、この日はなんだかんだでオンタイム。快晴の空へと飛び立った機内からは、離陸後ほどなくして雪化粧を施した山々を眺む事ができた。 出発前日に購入した村上春樹の新刊を開き、シンガポール到着までの読了を試みるも、睡魔に襲われあえなく失敗。 チャンギ空港では、GW2日目ということもあってある程度の混雑を覚悟していたが、意外にもイミグレーションは空いていてスムースに入国することができた。デカいバックパックを担いだままクラーク・キー付近にある肉骨茶屋へと向かい、その日初めての食事を摂った。 残念ながら肉骨茶自体は売り切れていたため、恐らく肉骨茶と同じスープを使っているであろう同類の料理を食べてみることにした。初めて口にしたが、コンソメっぽい味わいであった(当然か)。 翌日。この日はシンガポールからクアラルンプールを経由しシェムリアップまで飛ぶ日だったが、フライトまで時間に余裕があったので、ブラブラとホーカーを物色し、むっとする陽気の中、マトンの入ったビリヤーニ(そんなに美味しくなかった)をつまみながらビールを啜った