長年、激しいスコールや強烈な熱気に晒されながらも、レリーフはその美しい原型を留めている。 倒れた石柱に描かれたレリーフからもヒンドゥー教色を見て取る事ができ、やはりこのバイヨンも純粋な仏教寺院ではないことを悟る。軽く調べてみると、当初は仏教寺院として建てられたものの、クメール人の信仰の変遷と合わせてその様相が変わっていったらしいことがわかった。 アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤーヴァルマン7世がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されている。当初は大乗仏教の寺院であったが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化した。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどからも推測できる。 wikipedia - バイヨン バイヨンから少し北西方向に歩くと、バプーオンと呼ばれる寺院にたどり着く。 この頃になると日が高く登り、とにかく暑かった。空は清々しく青く、そして炎天である。 石造りの道の上で、ふと思い立ってサンダルを脱ぎ裸足で立ってみると、火傷を負うのではないかという程の熱さで、灼熱のバガンが思い出された。 この寺院も回廊に囲まれる形となっており、回廊の内側には、チェスの駒のような短い石柱が立っている。 恐らくだが、雨季にはこのスペースに水が溜るのではなかろうか。石柱の上にはその水面を渡る為の足場が掛かっていたのかもしれない。 寺院上部には屋根のついた回廊がある。通路の左右から少しずつ内側にせり出すように石が重ねられた構造になっており、単純な作りであったがいまだに堅牢であった。 バプーオンの出入り口の脇には、「象のテラス」と呼ばれるテラスがある。王たちが閲兵を行う為にわざわざ作られたそうだが、その手すりにもいちいち見事なナーガの彫刻がくっついている。 こちらは「象のテラス」の隣に作られた「ライ王のテラス」である。三島由紀夫の戯曲のタイトルにも使われているテラスである(残念ながら未読)。昭和40年に彼がアンコール遺跡群を訪れた際、このテラスの上に座するライ王の像を見て戯曲の構想を得たらしいが、