シェムリアップに到着し難なくイミグレーションを通過した僕は、パブストリートと呼ばれる外国人向けの飲み屋通りに近い位置にゲストハウスが並んでいるのに目をつけ、そこを目指した。
さすがは世界的に有名な観光地というだけあって、空港から市街地までのタクシー運賃は厳格に決まっていて、交渉の余地はなかった。当然ドライバーがふっかける余地もない。
市街地までタクシーを運転してくれたドライバーは、翌日以降の遺跡巡りの足として雇ってもらおうと車内で営業トークを繰り広げはしたものの、もっと安い足を探すからと断ると、すぐに引き下がる謙虚さを持ちあわせていた。他の諸外国のクソみたいなタクシードライバーに比べるとかわいいもんである。
レストラン圏バーを併設し、日中は旅行代理業も営んでいると思しきよくあるタイプのゲストハウスに狙いを定めた。空き部屋の状況を尋ねたところ、良い部屋があると言う。通された部屋はある程度のセキュリティが担保されていそうな上にホットシャワーまで出たが、1階だったので即決しかねていると、すぐにこちらの意図を察して上の階にある同様の部屋を紹介された。
時刻は既に夜9時を回っていた上に、提示された宿泊料が相場とそう乖離してないであろう値段だったので、無理に宿探しに時間を割くことをやめ、早々に荷を降ろした。
翌日以降のアンコール遺跡群への足について宿のスタッフに相談すると、トゥクトゥクとバイクタクシーと自転車の3つの手段を提示された。トゥクトゥクのチャーター料金を聞くと、許容できる範囲の額である。流しのドライバーを捕まえればもう少し安く抑えられるとわかってはいたものの、切り詰める必要もないし交渉時間を買うつもりで宿お抱えのドライバーを雇うことにした。
さっさと決めることを決めた僕は、夜のシェムリアップの街をぶらぶらと散策し、幾ばくかのビールを啜っていい気分になってぐうと眠った。(この日の夜は写真を撮り忘れている)
翌朝、のそのそと部屋を出ると、その日チャーターするトゥクトゥクのドライバーが既に待ち受けていた。いかにも誠実そうな面構えに少し安心し、簡単に自己紹介を済ませてすぐに出発することにした。
カンボジアのトゥクトゥクは、タイのそれと違い、バイクの後ろに二輪の荷台を無理やりくっつけた形状をしている。簡易な作りだが、しっかり屋根は付いているし、椅子にはクッションがひかれ、なかなか快適である。
どうやら政府?公認の観光客向けトゥクトゥクドライバー協会的なものがあるようで、それに属している事を示すためにドライバーはユニフォームを纏っていた。
前日散策した際には暗くてよくわからなかったが、多くの人々が道々を行き交う、活気に溢れた街である。
街の中央を南北に走る大きな通りを10分も北上すると、青々と茂る木々に囲まれる。途中、遺跡が点在するエリアへの立ち入りを管理する事務所にてチケットを購入することになるのだが、わざわざその場で撮った顔写真を載せた、手の込んだチケットであった。
そのチケットポイントからさらに北上すること数分、いよいよ姿を現したのは遺跡群への入り口となる南大門である。
門へと続く橋の左右には、ナーガを引く神々と阿修羅を模した石像が並んでいる。恐らく、ラーマーヤナの乳海攪拌のシーンを再現したものかと思われるけど、間違っていたらごめんなさい。
門の中央部分は巨大な菩薩の四面塔になっている(顔の長さだけで3mあるらしい)。建てられて1千年以上が経過した今でも凛々しい御尊顔である。先ほどの橋に置かれた石像がとてもヒンドゥー教的である一方で、バーンと菩薩が中央に君臨する様に矛盾を覚えたが、このようなダブルスタンダード感はこのアンコール遺跡群の中でしばしば感じることとなる。
「どうだ?」と尋ねてくるドライバーは誇らしげだった。遺跡群への探訪はまだ始まったばかりである。この程度で驚いていてはいけないと自分に言い聞かせ、控えめなリアクションを返しておいた。
門の先がアンコールトムと呼ばれるエリアになっている。一片12km程度の城壁がほぼ正方形に囲うこのエリアはとにかく広大で、門を通過してもしばらくは森の中をひた走り、中心部へと向かう形になる。
アンコールトムの中心部にでんと座するはバイヨンという名の寺院である。
所々高くなっている部分は全て南大門と同様、穏やかな菩薩の顔を四面に備えた塔となっている。この寺が建てられた12世紀末頃、クメールの人々は仏教を信仰していたとのことだった。
中央にある祠堂を取り囲む二重の回廊には、当時の生活の様子を描いたレリーフや、深く掘られたテバターが今でもはっきりと残っていた。レリーフは精緻なものが多く、活き活きと描かれていて見ていて飽きない。
僕はしばし時間を忘れてその回廊をぐるぐると歩きまわった。
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アンコール遺跡群への旅の記録
アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール
アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ
アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン
アンコールワット - その4:アンコールワット
アンコールワット - その5:シェムリアップ
アンコールワット - その6:タ・プロームなど
アンコールワット - その7:プレ・ループなど
アンコールワット - その8:パンテアイ・スレイと旅のおわり
さすがは世界的に有名な観光地というだけあって、空港から市街地までのタクシー運賃は厳格に決まっていて、交渉の余地はなかった。当然ドライバーがふっかける余地もない。
市街地までタクシーを運転してくれたドライバーは、翌日以降の遺跡巡りの足として雇ってもらおうと車内で営業トークを繰り広げはしたものの、もっと安い足を探すからと断ると、すぐに引き下がる謙虚さを持ちあわせていた。他の諸外国のクソみたいなタクシードライバーに比べるとかわいいもんである。
レストラン圏バーを併設し、日中は旅行代理業も営んでいると思しきよくあるタイプのゲストハウスに狙いを定めた。空き部屋の状況を尋ねたところ、良い部屋があると言う。通された部屋はある程度のセキュリティが担保されていそうな上にホットシャワーまで出たが、1階だったので即決しかねていると、すぐにこちらの意図を察して上の階にある同様の部屋を紹介された。
時刻は既に夜9時を回っていた上に、提示された宿泊料が相場とそう乖離してないであろう値段だったので、無理に宿探しに時間を割くことをやめ、早々に荷を降ろした。
翌日以降のアンコール遺跡群への足について宿のスタッフに相談すると、トゥクトゥクとバイクタクシーと自転車の3つの手段を提示された。トゥクトゥクのチャーター料金を聞くと、許容できる範囲の額である。流しのドライバーを捕まえればもう少し安く抑えられるとわかってはいたものの、切り詰める必要もないし交渉時間を買うつもりで宿お抱えのドライバーを雇うことにした。
さっさと決めることを決めた僕は、夜のシェムリアップの街をぶらぶらと散策し、幾ばくかのビールを啜っていい気分になってぐうと眠った。(この日の夜は写真を撮り忘れている)
翌朝、のそのそと部屋を出ると、その日チャーターするトゥクトゥクのドライバーが既に待ち受けていた。いかにも誠実そうな面構えに少し安心し、簡単に自己紹介を済ませてすぐに出発することにした。
カンボジアのトゥクトゥクは、タイのそれと違い、バイクの後ろに二輪の荷台を無理やりくっつけた形状をしている。簡易な作りだが、しっかり屋根は付いているし、椅子にはクッションがひかれ、なかなか快適である。
どうやら政府?公認の観光客向けトゥクトゥクドライバー協会的なものがあるようで、それに属している事を示すためにドライバーはユニフォームを纏っていた。
前日散策した際には暗くてよくわからなかったが、多くの人々が道々を行き交う、活気に溢れた街である。
街の中央を南北に走る大きな通りを10分も北上すると、青々と茂る木々に囲まれる。途中、遺跡が点在するエリアへの立ち入りを管理する事務所にてチケットを購入することになるのだが、わざわざその場で撮った顔写真を載せた、手の込んだチケットであった。
そのチケットポイントからさらに北上すること数分、いよいよ姿を現したのは遺跡群への入り口となる南大門である。
門へと続く橋の左右には、ナーガを引く神々と阿修羅を模した石像が並んでいる。恐らく、ラーマーヤナの乳海攪拌のシーンを再現したものかと思われるけど、間違っていたらごめんなさい。
門の中央部分は巨大な菩薩の四面塔になっている(顔の長さだけで3mあるらしい)。建てられて1千年以上が経過した今でも凛々しい御尊顔である。先ほどの橋に置かれた石像がとてもヒンドゥー教的である一方で、バーンと菩薩が中央に君臨する様に矛盾を覚えたが、このようなダブルスタンダード感はこのアンコール遺跡群の中でしばしば感じることとなる。
「どうだ?」と尋ねてくるドライバーは誇らしげだった。遺跡群への探訪はまだ始まったばかりである。この程度で驚いていてはいけないと自分に言い聞かせ、控えめなリアクションを返しておいた。
門の先がアンコールトムと呼ばれるエリアになっている。一片12km程度の城壁がほぼ正方形に囲うこのエリアはとにかく広大で、門を通過してもしばらくは森の中をひた走り、中心部へと向かう形になる。
アンコールトムの中心部にでんと座するはバイヨンという名の寺院である。
所々高くなっている部分は全て南大門と同様、穏やかな菩薩の顔を四面に備えた塔となっている。この寺が建てられた12世紀末頃、クメールの人々は仏教を信仰していたとのことだった。
中央にある祠堂を取り囲む二重の回廊には、当時の生活の様子を描いたレリーフや、深く掘られたテバターが今でもはっきりと残っていた。レリーフは精緻なものが多く、活き活きと描かれていて見ていて飽きない。
僕はしばし時間を忘れてその回廊をぐるぐると歩きまわった。
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アンコール遺跡群への旅の記録
アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール
アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ
アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン
アンコールワット - その4:アンコールワット
アンコールワット - その5:シェムリアップ
アンコールワット - その6:タ・プロームなど
アンコールワット - その7:プレ・ループなど
アンコールワット - その8:パンテアイ・スレイと旅のおわり