「ここがメルカド・ヒダルゴだよ、アミーゴ」
気の良い運転手に言われ、僕はいそいそとタクシーからバックパックを引きずり下ろした。メキシコ、グァナファト。テキサスに比べると風は幾分乾いており、期待していた通りの青々とした空が心地よい。
初めて訪れる町ではなるべく旅慣れたフリをする癖が染み付いているのかもしれない。特に客引きに囲まれるわけでもないのに、僕はタクシーを降りてまずベンチに腰掛け、煙草をふかし、悠々とした素振りで辺りを見回した。
グァナファトの町は綺麗だった。路傍の各所にゴミ箱が設置され、コロニアル調の景観を壊すことの無いよう、ファーストフード店やコンビニの外壁は勿論、それらブランドロゴのカラーリングにもアレンジが加えられている。ユネスコの世界遺産登録がなされたのが1988年だそうだ。管理の行き届いた景観からは、この国がそれなりにグァナファトに観光地として期待を寄せている様が見て取れる。過度に演出された感、言い換えると多少の嘘い趣は漂うものの、メキシコの足慣らしと思えば悪くない。僕はすぐにこの町を気に入った。
銀の産出で注目を浴びたこの街はよっぽど無秩序に発展したのか、道はかなり入り組んでいる。普段は方向感覚に自信のある僕も目当ての安宿にたどり着くまでに何度も地図を見返す羽目になり、なかなか辟易した。おまけに、足元では暗くヌメッとした無数の地下道が複雑に走り回っていているのだからさながら立体的な迷路である。
やっとの思いで辿り着いた安宿はその名を「ディエゴ・リベラ」といった。あまりに安直な命名センスだが、3階建ての建物の中央に開放的な吹き抜けがあり、廊下の各所に溢れんばかりに設置された観葉植物に明るい日差しの当たる気持ちの良い宿だ。おまけに英語は通じないものの宿のスタッフの愛想も良く、僕はすぐにそこに投宿することに決めたのであった。
バックパックをベッドに放り投げ、見どころとされているフアレス通りへと繰り出す。目に飛び込んでくる建物たちはどれも重厚でありながら、壁は原色でカラフルにペンキ塗りされていて、2階の窓縁や路上の花壇の鮮やかな彩りも相まってとても華やかだ。気を良くして散歩をしていると、サンディエゴ教会前のラウニオン公園にたどり着いた。公園の中心では子どもたちがキャッキャとサッカーをして遊んでいる。
この日の予定といえば日暮れ時に街を一望できる丘から日没を拝むことくらいだったので、やがて暇を持て余した僕はラウニオン公園に面したレストランバーでビールを飲むことに決めた。ランチとディナーの狭間の中途半端な時間帯ということもあって、店内の客は僕だけだった。店員の若い女の子たちが談笑している。コロナを注文すると、見慣れたボトルにライムが刺さって出てきた。ライムが気持よく効いて冷えたビールに一息つき、僕はしばし翌日以降の旅程に思いを馳せていた。
街の全容が見渡せる丘には、ピピラ像という大きな像が立てられている。この像の足元まで街なかからケーブルカーが出ているという情報があったのだが、どうも動いている気配がない。仕方なくタクシーを捕まえた。時間にして10分ちょっとで丘までたどり着くのだが、途中タクシーは、街の中の複雑に入り組んだ地下道を駆け抜けた。周囲の景色が見えなくなることで、いきなり方向感覚が失われ、自分がいまどのあたりにいるのか全くわからなくなるのは恐ろしかった。あまりにも似たような分岐だらけで、元来た道をひとりで引き返せと言われても無理だと思った。
そんなこんなで辿り着いたピピラ像のある丘から見えるのは、噂に違わぬフォトジェニックな街並みだった。思わず息を飲み、夢中になってシャッターを切り続けた。ふと、大学の先輩がいつか写真に収めていたラパスの街並みを思い出す。四方を山々に囲まれた街は、中心に向かうに従って高度を落としていく。その最も低いあたりに教会が据えられているという構図は、グァナファトもラパスも同じなのかもしれない。
丘の上ではたまたま二人の日本人と出会った。メキシコに留学している息子を母が訪ねて来たとの事だったが、二人共僕よりずっとメキシコに関する造詣があり、息子に至ってはかなり流暢にスペイン語を操れるようだった。彼らと話し込んでいるうちにあっという間に日が暮れ、いつの間にか丘の上にいる観光客は僕らだけになり、たむろしていたタクシーはすっかりいなくなってしまった。
この丘から市街地までの道はかなり入り組んでいる上に、途中であの地下道を通らなければならない。おまけに道中はしばしば強盗が出るという。どうしたものかと困っていたところ、先ほどの息子さんが店じまいをした土産物屋にかけあってくれ、車で送ってもらえる事になったお陰でなんとか事なきを得たのだった。
翌日は街の様子を仔細に眺めようと、朝からカメラを片手にウロウロと歩きまくっていた。
グァナファトの街は、細い、人っ子一人いないような小さな路地でさえ、カラフルな家々や、その壁に埋め込まれたちょっとしたタイル絵の装飾なんかが目を楽しませてくれる。そんな街並みを眺めるのに飽きたら、ローカル御用達のマーケットを冷やかし、ローカルと一緒にメシを食えばいい。気ままに歩いて気ままに食い、それにも疲れたら路面の店でビールを啜り、次の行き先に思いを馳せればいい。
結局僕はこの街に2泊した間に次の行き先をメキシコシティと定め、長距離バスに乗り込んで再び移動を開始した。
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メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その1
メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その2
メキシコ、キューバなど: グァナファト
気の良い運転手に言われ、僕はいそいそとタクシーからバックパックを引きずり下ろした。メキシコ、グァナファト。テキサスに比べると風は幾分乾いており、期待していた通りの青々とした空が心地よい。
初めて訪れる町ではなるべく旅慣れたフリをする癖が染み付いているのかもしれない。特に客引きに囲まれるわけでもないのに、僕はタクシーを降りてまずベンチに腰掛け、煙草をふかし、悠々とした素振りで辺りを見回した。
グァナファトの町は綺麗だった。路傍の各所にゴミ箱が設置され、コロニアル調の景観を壊すことの無いよう、ファーストフード店やコンビニの外壁は勿論、それらブランドロゴのカラーリングにもアレンジが加えられている。ユネスコの世界遺産登録がなされたのが1988年だそうだ。管理の行き届いた景観からは、この国がそれなりにグァナファトに観光地として期待を寄せている様が見て取れる。過度に演出された感、言い換えると多少の嘘い趣は漂うものの、メキシコの足慣らしと思えば悪くない。僕はすぐにこの町を気に入った。
銀の産出で注目を浴びたこの街はよっぽど無秩序に発展したのか、道はかなり入り組んでいる。普段は方向感覚に自信のある僕も目当ての安宿にたどり着くまでに何度も地図を見返す羽目になり、なかなか辟易した。おまけに、足元では暗くヌメッとした無数の地下道が複雑に走り回っていているのだからさながら立体的な迷路である。
やっとの思いで辿り着いた安宿はその名を「ディエゴ・リベラ」といった。あまりに安直な命名センスだが、3階建ての建物の中央に開放的な吹き抜けがあり、廊下の各所に溢れんばかりに設置された観葉植物に明るい日差しの当たる気持ちの良い宿だ。おまけに英語は通じないものの宿のスタッフの愛想も良く、僕はすぐにそこに投宿することに決めたのであった。
バックパックをベッドに放り投げ、見どころとされているフアレス通りへと繰り出す。目に飛び込んでくる建物たちはどれも重厚でありながら、壁は原色でカラフルにペンキ塗りされていて、2階の窓縁や路上の花壇の鮮やかな彩りも相まってとても華やかだ。気を良くして散歩をしていると、サンディエゴ教会前のラウニオン公園にたどり着いた。公園の中心では子どもたちがキャッキャとサッカーをして遊んでいる。
この日の予定といえば日暮れ時に街を一望できる丘から日没を拝むことくらいだったので、やがて暇を持て余した僕はラウニオン公園に面したレストランバーでビールを飲むことに決めた。ランチとディナーの狭間の中途半端な時間帯ということもあって、店内の客は僕だけだった。店員の若い女の子たちが談笑している。コロナを注文すると、見慣れたボトルにライムが刺さって出てきた。ライムが気持よく効いて冷えたビールに一息つき、僕はしばし翌日以降の旅程に思いを馳せていた。
街の全容が見渡せる丘には、ピピラ像という大きな像が立てられている。この像の足元まで街なかからケーブルカーが出ているという情報があったのだが、どうも動いている気配がない。仕方なくタクシーを捕まえた。時間にして10分ちょっとで丘までたどり着くのだが、途中タクシーは、街の中の複雑に入り組んだ地下道を駆け抜けた。周囲の景色が見えなくなることで、いきなり方向感覚が失われ、自分がいまどのあたりにいるのか全くわからなくなるのは恐ろしかった。あまりにも似たような分岐だらけで、元来た道をひとりで引き返せと言われても無理だと思った。
そんなこんなで辿り着いたピピラ像のある丘から見えるのは、噂に違わぬフォトジェニックな街並みだった。思わず息を飲み、夢中になってシャッターを切り続けた。ふと、大学の先輩がいつか写真に収めていたラパスの街並みを思い出す。四方を山々に囲まれた街は、中心に向かうに従って高度を落としていく。その最も低いあたりに教会が据えられているという構図は、グァナファトもラパスも同じなのかもしれない。
丘の上ではたまたま二人の日本人と出会った。メキシコに留学している息子を母が訪ねて来たとの事だったが、二人共僕よりずっとメキシコに関する造詣があり、息子に至ってはかなり流暢にスペイン語を操れるようだった。彼らと話し込んでいるうちにあっという間に日が暮れ、いつの間にか丘の上にいる観光客は僕らだけになり、たむろしていたタクシーはすっかりいなくなってしまった。
この丘から市街地までの道はかなり入り組んでいる上に、途中であの地下道を通らなければならない。おまけに道中はしばしば強盗が出るという。どうしたものかと困っていたところ、先ほどの息子さんが店じまいをした土産物屋にかけあってくれ、車で送ってもらえる事になったお陰でなんとか事なきを得たのだった。
翌日は街の様子を仔細に眺めようと、朝からカメラを片手にウロウロと歩きまくっていた。
グァナファトの街は、細い、人っ子一人いないような小さな路地でさえ、カラフルな家々や、その壁に埋め込まれたちょっとしたタイル絵の装飾なんかが目を楽しませてくれる。そんな街並みを眺めるのに飽きたら、ローカル御用達のマーケットを冷やかし、ローカルと一緒にメシを食えばいい。気ままに歩いて気ままに食い、それにも疲れたら路面の店でビールを啜り、次の行き先に思いを馳せればいい。
結局僕はこの街に2泊した間に次の行き先をメキシコシティと定め、長距離バスに乗り込んで再び移動を開始した。
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メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その1
メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その2
メキシコ、キューバなど: グァナファト