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7月, 2016の投稿を表示しています

パキスタン - その2: Water from the Same Source

▲ギルギットまでのフライト途中に見ることの出来る、カラコルムの山々。 フンザへの道のりは遠い。通常はイスラマバード(ラワールピンディ)からバスで20時間とも30時間とも言われるカラコルム・ハイウェイの悪路をひたすら走りぬく。今回、僕は与えられた自由な時間に制限があることから(皮肉にも、自由とは制限という概念が存在する事で初めて立ち現れる現象だと思う)、その途中までを空路で移動することにしていた。とは言えそれは小さなプロペラ機による有視界飛行であり、ちょっとした天気の悪化によってフライトはキャンセルされる頼りないものだ。その欠航率たるやネパールからエベレストに登ろうとした際に使う最もポピュラーな空路である、カトマンズ-ルクラのそれと同等なのだという話も聞いたことがある。要は運頼みだったのだが、幸運にもフライト当日は出発地も目的地も好天に恵まれ、無事途中の街であるギルギットまで1時間そこらで赴くことができた。飛行機はため息が出るほど巨大なカラコルム・ヒマラヤ山脈の合間を縫う形で飛ぶわけだが、その窓から見える景色の壮観さは圧倒的で、筆舌に尽くしがたい。 ▲ギルギットのバススタンド近くの肉屋にて。ここでもミルクティーをご馳走になる。 飛行機の中で唯一出会った旅行者は偶然にも日本人で、彼はグルミットという集落まで行くつもりだと言う。特定の目的地を思い描いていたわけではなかったので、何となく彼の目的地まで同行する事にし、ギルギットのバスターミナルで同じ乗合バスに乗り込み、カラコルム・ハイウェイを更に北に進む。ここまで来るとすっかり景色はカラコルム山脈のど真ん中にいる様相で、四方を囲む山々の迫力は相当なものだ。ローカルのパキスタニーと肩を寄せ合いながら、狭い社内の空間でカメラを振り回した。 4時間ほど走った頃だったろうか、バスは何も無い谷中でゆっくりと停車した。前方を見ると数台の車やバイクが止まっており、人だかりもできている。何やらタダ事ではない雰囲気だ。その原因は土石流だった。氷河から溶け出た水が遥か上方の山々の頂から豊かに流れ出、それがやがて岩土を押し出し、大きなエネルギーの塊となって降り注いでいる。それは強大な大地が、まるで人類のささやかな抵抗のようにすっと一筋引かれたカラコルム・ハイウェイを、無慈悲にも一瞬にして飲み込んでしまう様だ。分断された道路の両

パキスタン - その1: いい言葉ちょうだい

▲イスラマバードにて。タクシードライバーが集まる店でミルクティーをご馳走になる。 ラダックや、メキシコ〜キューバ、そしてアンナプルナ内院へのトレッキングのことだとかを全然書けてないんだけど・・別に誰に迷惑かかるわけでもないしまあいいかと、こないだ行ったパキスタンの事を綴っておこうと思う。 なんでパキスタンに行こうと思い立ったのか、何に惹かれたのか、正直自分でもよくわからない。ナンガ・パルバットだとか、レディーフィンガーだとか、K2だとか、登山をやる人間の何割かは憧れるであろう有名な山々を見たかったのか、それともカラコルム・ハイウェイだとか、フンザだとか、バックパッカーであればピンとくるエリアをぶらついてみたかったのか、はたまた比較的戒律の厳格なイスラム圏の姿を今こそこの目でみておきたかったのか…。或いは、ただ単に、僕は僕にとっての俗世から逃げ出したかっただけで、その逃げこむ先として適当な条件を揃えた土地だというイメージをもっていただけかもしれない。理由はよくわからないけど、年末年始のネパールの旅から帰り、次の行き先を検討し始める頃には、とにかく僕はパキスタンに行く気になっていて、特段の疑いもなく航空券を漁っていた。 「テロ」だとか「誘拐」だとか、物騒なキーワードを思い浮かべなかったわけじゃない。実際、イスラム過激派勢力のお陰ですっかり旅人から敬遠されたこの国は、地球の歩き方も、ロンリープラネットも、2008年版を最後にぱたりと改訂を止めてしまっていた。それでもまあ、ググるとチラホラ近年訪れている人がいるのもわかったし、年末のアンナプルナ内院トレッキング中に出会った友だちが二つ返事でこの旅への参加表明をしてくれ頼もしく感じたこともあり、まあ何とかなるだろうという楽観的な感覚でいた。 ▲イスラマバードの首都としての歴史は浅く、60年程しかない。都会的喧騒は無く、碁盤目状に整備された街並みはスカスカで、少し寂しささえ覚える。 ラワールピンディという、首都イスラマバードから15kmほど南にある街の国際空港に到着した頃にはとっくに夜が更けていた。料金交渉もそこそこに長旅でくたびれた身体をタクシー(デリーのそれに似ていた)のシートに預け、適当なホテルまで運んでもらった。大した緊張感も湧かなかったのは、僕はこの国に住む人たちの事をどこかで信用していたからか