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パキスタン - その1: いい言葉ちょうだい

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▲イスラマバードにて。タクシードライバーが集まる店でミルクティーをご馳走になる。

ラダックや、メキシコ〜キューバ、そしてアンナプルナ内院へのトレッキングのことだとかを全然書けてないんだけど・・別に誰に迷惑かかるわけでもないしまあいいかと、こないだ行ったパキスタンの事を綴っておこうと思う。

なんでパキスタンに行こうと思い立ったのか、何に惹かれたのか、正直自分でもよくわからない。ナンガ・パルバットだとか、レディーフィンガーだとか、K2だとか、登山をやる人間の何割かは憧れるであろう有名な山々を見たかったのか、それともカラコルム・ハイウェイだとか、フンザだとか、バックパッカーであればピンとくるエリアをぶらついてみたかったのか、はたまた比較的戒律の厳格なイスラム圏の姿を今こそこの目でみておきたかったのか…。或いは、ただ単に、僕は僕にとっての俗世から逃げ出したかっただけで、その逃げこむ先として適当な条件を揃えた土地だというイメージをもっていただけかもしれない。理由はよくわからないけど、年末年始のネパールの旅から帰り、次の行き先を検討し始める頃には、とにかく僕はパキスタンに行く気になっていて、特段の疑いもなく航空券を漁っていた。

「テロ」だとか「誘拐」だとか、物騒なキーワードを思い浮かべなかったわけじゃない。実際、イスラム過激派勢力のお陰ですっかり旅人から敬遠されたこの国は、地球の歩き方も、ロンリープラネットも、2008年版を最後にぱたりと改訂を止めてしまっていた。それでもまあ、ググるとチラホラ近年訪れている人がいるのもわかったし、年末のアンナプルナ内院トレッキング中に出会った友だちが二つ返事でこの旅への参加表明をしてくれ頼もしく感じたこともあり、まあ何とかなるだろうという楽観的な感覚でいた。

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▲イスラマバードの首都としての歴史は浅く、60年程しかない。都会的喧騒は無く、碁盤目状に整備された街並みはスカスカで、少し寂しささえ覚える。

ラワールピンディという、首都イスラマバードから15kmほど南にある街の国際空港に到着した頃にはとっくに夜が更けていた。料金交渉もそこそこに長旅でくたびれた身体をタクシー(デリーのそれに似ていた)のシートに預け、適当なホテルまで運んでもらった。大した緊張感も湧かなかったのは、僕はこの国に住む人たちの事をどこかで信用していたからかもしれない。街灯にオレンジ色に照らされた道路は綺麗に舗装されていて、走る車も立派なものが多くて退屈な光景だった。

そんな国のタクシードライバーが案内してくれた宿はなかなかタフな環境だった。1泊50USDもする割にはひどく汚くて鍵はろくに機能していないし、ベッドのシーツも枕カバーも毛布も、相当の間洗濯されてなかったんだろう、南京虫こそいないものの、鈍くテカり、加齢臭が染み付いていて、おまけに僕はこういう寝床に敷く為に大抵バックパックの中にミャンマーで買ったロンジーを持ち歩いているんだけど、それもたまたま自宅に置いてきてしまっていて、要は最低だった。ベッドの隅っこで小さく丸まって眠りに落ちる最中、どこかのオッサンの頭の油と体臭が混ざったような臭いに不快感を覚えながら、一方でようやく非日常的な感覚を得ることが出来て妙な嬉しさを覚えていた。

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▲ラワールピンディ。空港脇のエアポートロードにて。

パキスタンの人は異邦人に親切だとよく見聞きする。確かに外を歩いていると、彼らは人懐っこく話しかけてきて、メシを食ってけだとか、ミルクティ飲んでけだとか、或いは英語が通じないおっさんでも身振り手振りでおもてなしたい気持ちを伝えてきて、僕が熱いミルクコーヒーをズズズッと啜っている様子を見てはニンマリと微笑んでくれる。そして、お代を払おうとすると「お前はゲストだから」と必ず断られる。イスラムの教えか何かで異邦人は必ずもてなすべきと教育されてんじゃないかってくらい、皆が同じ振る舞いをする。それなりの旅行経験の中で、僕は自分の事を騙そうと思って近づいてくるローカルとそうじゃないローカルを何となく見分けることが出来るようになっている気がするんだけど、少なくとも僕がもてなされたパキスタン人の笑顔の裏に損得の考えがあるようにも思えず、素直に彼らの親切を享受していた。

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▲ミルクティーを奢ってくれたオッサン。英語は出来ず。

「パキスタンをどう思う」

「美しい国だと思う。古い街並みも、北方の大地も。気に入ったよ」

「でもパキスタンは嫌われているんだよ。西欧諸国から」

「そうかもしれない」

「旅行客も来なくなってしまった」

「そうだろうね」

「パキスタンが怖くないか」

「怖いかもしれない。テロとか、色々ニュースで見るしね」

「なんでパキスタンに来た」

「わからない」

「パキスタンがいい国だって日本の友だちに言ってやってくれ」

「最高の国だって伝えておくよ」

ミルクティをごちそうになる街角の店で、幾度と無くこんな会話を繰り返した。

パキスタンは、女性の教育機会の無さが寄与している部分もあるんだろうけど、識字率がかなり低い。一方で、ジャーナリズムの質は世界的に見ても高いらしいという話を旅の仲間から聞いた。そのお陰かもしれない。もしかしたら、彼らはその辺の国の人たちよりも自らの国の客観的評価に敏感で、しかも昨今の情勢もあって特に非イスラム圏からはネガティブに認識されているのではという思いもあって、それを確かめたいのかもしれない。甘いミルクティにタバコをぶつけながら、そんな事をよく考えていた。

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パキスタンについて
その2
その3

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