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パキスタン - その2: Water from the Same Source

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▲ギルギットまでのフライト途中に見ることの出来る、カラコルムの山々。

フンザへの道のりは遠い。通常はイスラマバード(ラワールピンディ)からバスで20時間とも30時間とも言われるカラコルム・ハイウェイの悪路をひたすら走りぬく。今回、僕は与えられた自由な時間に制限があることから(皮肉にも、自由とは制限という概念が存在する事で初めて立ち現れる現象だと思う)、その途中までを空路で移動することにしていた。とは言えそれは小さなプロペラ機による有視界飛行であり、ちょっとした天気の悪化によってフライトはキャンセルされる頼りないものだ。その欠航率たるやネパールからエベレストに登ろうとした際に使う最もポピュラーな空路である、カトマンズ-ルクラのそれと同等なのだという話も聞いたことがある。要は運頼みだったのだが、幸運にもフライト当日は出発地も目的地も好天に恵まれ、無事途中の街であるギルギットまで1時間そこらで赴くことができた。飛行機はため息が出るほど巨大なカラコルム・ヒマラヤ山脈の合間を縫う形で飛ぶわけだが、その窓から見える景色の壮観さは圧倒的で、筆舌に尽くしがたい。

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▲ギルギットのバススタンド近くの肉屋にて。ここでもミルクティーをご馳走になる。

飛行機の中で唯一出会った旅行者は偶然にも日本人で、彼はグルミットという集落まで行くつもりだと言う。特定の目的地を思い描いていたわけではなかったので、何となく彼の目的地まで同行する事にし、ギルギットのバスターミナルで同じ乗合バスに乗り込み、カラコルム・ハイウェイを更に北に進む。ここまで来るとすっかり景色はカラコルム山脈のど真ん中にいる様相で、四方を囲む山々の迫力は相当なものだ。ローカルのパキスタニーと肩を寄せ合いながら、狭い社内の空間でカメラを振り回した。

4時間ほど走った頃だったろうか、バスは何も無い谷中でゆっくりと停車した。前方を見ると数台の車やバイクが止まっており、人だかりもできている。何やらタダ事ではない雰囲気だ。その原因は土石流だった。氷河から溶け出た水が遥か上方の山々の頂から豊かに流れ出、それがやがて岩土を押し出し、大きなエネルギーの塊となって降り注いでいる。それは強大な大地が、まるで人類のささやかな抵抗のようにすっと一筋引かれたカラコルム・ハイウェイを、無慈悲にも一瞬にして飲み込んでしまう様だ。分断された道路の両岸で人々はただ呆然と立ちすくすほかない。前進しようにも能わない状況に置かれていると、やがて見たこともないほど大きな中国製の重機が轟音を立てて麓から登ってきて、途方も無い量の土砂と、象一頭分はゆうにあると思われるサイズの岩をちょっとずつ、しかし確実に川底に向かって押し出しては道を作らんとし始めた。

この調子だとあと1時間ほどで通行が可能になるな、そう思った矢先、不気味な轟が谷にこだまする。誰かが叫びながら指差した方を見やると、煙を上げて再び土石がものすごいスピードで降ってくるところだった。急いで重機や人々は避難し、その勢いが衰えるのを待つ。それが収まると、再び高く積もった土石を巨大な重機が少しずつ片付けていく。日差しは刺すような強さだ。周囲に日陰はない。500ml程度持ってきた水は尽きた。最初は面白がって土砂と重機を見物していたパキスタニー達も徐々に辟易とし始め、地べたに座り込んでいる。全くもってやれやれだ。

結局、グルミットについた時には辺りはすっかり暗くなっていた。集落に街灯はなく、何も見えない。たまたまバスにグルミットの住人が乗っていたので、目当てのゲストハウスまで案内を請うたのだった。あれだけ暑かった日中がウソかのように肌寒い。蛍光灯が薄暗く照らす食堂で夕食(とんでもない量だった)をとり、温かいシャワーを浴び、共に1日を過ごした日本人の旅行者と好きな写真家について少し会話を交わした後、泥のように眠った。

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▲グルミットの宿の庭から見える、パスーカテドラル(別名トポップダン)。6,106m。

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▲パスー氷河から見たシスパーレ。7,611m。

翌日は、更にフンザの深部に向かうため車をチャーターした。パスーというエリアでトレッキングをして氷河を見物し、カラコルム・ハイウェイにおけるパキスタン側最後の街スストへと向かった。標高は3,000m。車の窓から見える山並みはいよいよ峻険さを増す。どんどんと高さを稼いでいるはずなのに、天を仰ぐ為には首が痛くなるほど見上げなければいけない事もしばしばだった。スストから更に60kmだろうか、とにかく小一時間走ると標高4,700mのフンジャラーブ峠にたどり着く。その先はもう新疆ウイグル、カシュガルだ。

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▲最後の街ススト。フンザが桃源郷と呼ばれる一つの理由ともなっている、春になると花をつける杏の木々と、緩やかな斜面に作られる綺麗な畑。

スストの街にはさすがに中国語が目立つ。長旅を経て、僕は傲慢にも自分が地の果てにでもたどり着いたかのような錯覚に陥らんとしていたが、見慣れた文字列を見て我に返ったのだった。この道はまだまだ途切れることなく、伸び続けている。新疆ウイグルを経て、長安にでも繋がっているのだろうか、そしてその先にはきっと日本があるのだ。辺りを歩く人々の顔はパキスタニーのそれというよりかは、中央アジア的になっている。宝石のように青く澄んだ目の子供もいる。そんな人々の顔が、徐々に漢民族的に移り変わっていく様を想像すると得体の知れないワクワク感に襲われる。いつか必ず、シルクロードをなぞる旅をしようと思う。

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▲早朝のアッタバード湖。2010年1月の地滑りが原因で出来た。村が一個沈んでいる。

この日は、来た道を引き返す形でスストからグルミットまで戻り、そこで別々に行動していた例の日本人をピックアップしたら更に南下して、フンザの中で最も大きな集落であるカリマバードまで向かう予定だった。彼をピックアップする所までは予定通りだったのだが、チャーターした車で前日土石流を食らっていたポイントまで向かうと、なんとまた車が立ち往生しているではないか。

既視感のある光景に嫌な予感しかしなかったが、車を降りて様子を見に行ってみると、案の定土石が道を分断している。前日と違う点があるとすると、頼みの綱である中国製の巨大重機がどこかに行ってしまっていなくなっている事だ。どうしてもその日のうちに麓まで降りたいのであろう、何人かの人々は泥まみれになりながら素手で土石を川底に落とさんと奮闘している。健気な光景を呆然とした心持ちで眺めていると、雷音のように腹に響く嫌な轟が聞こえる。誰かの叫ぶ声。既視感だ。まもなく、せっかく人々が綺麗にしようとしていた道の上に、大量の土石がとてつもない勢いで流れ込んで来る。チャーターした車のドライバーは呆れ返っている。「日中の日差しで氷河の氷が溶けているので、今日いっぱいはこの流れが止まる事はない。渡るなら明日の早朝だ。朝方なら氷河が凍っているので可能性がある」

僕らは彼の言葉にしぶしぶ従い、再びグルミットで一泊したのであった。

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パキスタンについて
その1
その3

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