スキップしてメイン コンテンツに移動

ミャンマー(その15) - バックビートにのっかって

IMGP8984

豪奢とかいうレベルじゃない。理解不能な宇宙観を前に、僕らはただゲラゲラ笑うしかなかった。

バガンからヤンゴンに戻ってきた僕らは、シュエダゴン・パゴダへと向かった。時刻は8時を回った頃だった。日中、灼熱のバガンを歩きまわっていた僕らはそれなりに疲れていたはずだったが、ミャンマー観光をこの国の最大の聖地であるパゴダで締めくくるべくタクシーを飛ばした。

国内外から毎日多くの仏教徒が参拝するこのパゴダはとにかくデカい。ちょっとした丘の上を占有している境内へはなんとエレベーターで向かったのだった。

IMGP8988

この仏塔に貼り付けられた金箔の数は8600枚以上で、先端に備え付けられた76カラットの馬鹿でかいダイヤモンドを始め、総計5451個のダイヤモンドと1383個のルビーなど各種宝石でこれでもかと言わんばかりに装飾されている。どういう神経があればそういうチョイスができるのか甚だ謎だが、極めつけに設置されたのはこれまた馬鹿みたいな量のLEDである。照明の光を反射する黄金の輝きとは別に、妙にテクノな赤や緑、青色の光線がビカビカと存在を主張している。

このパゴダには、遥か2500年以上前に仏陀の整髪が奉納されたらしい。それ以来、国中からありったけの信仰心をかき集めてその整髪に塗りたくり続けた結果このような形状になったようだ。

あまりに強烈な光景に当てられ、くらくらと目が回る感覚を覚える。異様な建造物に向かって真剣な眼差しで祈りを捧げる教徒もまた同様に異様であり、リアリティはどんどん希薄になっていく。

IMGP8985

聖水をたたえられた仏足石はそれだけで有難いものなんだろうが、その水面にはなんと仏陀の尊顔が映ってさえいる。

IMGP8998

恐らく仏陀の身体から放たれる光輪を表現しているのだろうが、LEDの光はどう考えてもミスチョイスである。この人達はふざけているのだろうかとすら思ったが、集まった仏教徒が祈る顔つきはやはり真剣である。笑ってはいけない。

「CRゴータマ・シッダールタだね」

先輩のその一言が僕らにとってのシュエダゴン・パゴダを全て形容していた。

IMGP9003

シュエダゴン・パゴダを後にした僕らは宿を探した。時刻は既に10時を回っていたと思う。急速に開国しつつあるこの国においては、宿の数が旅行客の数に対してまだまだ追いついていない。空き部屋探しは難航した。

どの宿を当たっても満室だと断られ、どでかいバックパックを背負って歩きまわる僕らの足は徐々に重くなり、ついに足取りが止まった。

スーレー・パゴダの付近で途方に暮れてガイドブックを広げていた頃、とあるミャンマー人が僕らを助けてくれた。彼はガイドブックに載っている宿に片っ端から電話をかけてくれ、空きがないか確認してくれたのだった。

彼は日本語が堪能で、聞けば長いこと日本で仕事をしていたとのこと。僕は、日本語を使う旅先の人間を基本的に信用しないことにしている。しかし、この時は時間も時間で、現地の人間の力を借りでもしないと寝床にありつけなさそうだったし、何よりもこの国の人々の異常に親切な性格をある程度わかっていたので、彼の手助けを断ることはしなかった。

彼が電話をかけた宿のうち、ひとつに空き部屋があるという。一緒にタクシーで向かってみると、特に怪しいところもない外国人向けの一般的なゲストハウスだった。案内料を請求することもなく、彼は家に帰っていった。この国で出会う人々はなぜこうも優しいのだろう。

IMGP9004

何はともあれ無事寝床を確保した僕らは、ミャンマー最後の夜も飲み散らかすべく、先日訪れた通りにいそいそとやってきた。

時刻は11時を過ぎていた。もしかすると軒並み店じまいしてしまっているのではないかと不安だったが、タクシーが通りに近づくにつれにわかに屋台の煌々とした明かりが目に入るようになり、安心した。

IMGP9007

最後の夜は静かに過ぎていった。もうする必要がなくなった緊張が解けたからかもしれない、先日訪れた際にはさして気にならなかった椅子と机の高さの不整合が妙に気になった。

店を後にしたのは2時過ぎ頃だ。この頃になると屋台も店じまいを始め、この通りに残っている外国人はいつの間にか僕らだけになっていた。体力的にはまだまだ飲めたが、店が閉まってしまうのではどうしようもない。それに、明日、一足先にヤンゴンを発つ先輩のフライトは早朝だった。

僕らは大人しく深夜のヤンゴンの街をふらふらと歩き帰った。宿の位置を忘れてしまったため、街角にたむろする人々に何度も道を訪ねつつ。

IMGP9023

翌朝、先に発つ先輩を見送り、続いて僕が空港へ向かった。最後に残ったもう一人の先輩がヤンゴンを出るのは夜とのことだった。

IMGP9026

旅の終わりはあっけない。諸々の事情で乗り換えに際して一度イミグレーションを通過するハメになった挙句、到着便のディレイで時間に余裕がなくなり、僕はバンコクスワンナプーム空港をひたすら走った。

帰りのフライトで旅の余韻をうまく消化しきれなかった僕は、帰国後数日間、旅の最中に感じていた高揚感を引き続き腹の中に留めたまま生活を送ることになる。二人の先輩もどうやらそれは同じだったようで、また、この感覚を共有できるのはやはり彼らだけだった。

いつかのタイ旅行の最中に出会ったミャンマーという国との再会は想像以上に痛快で、あまりにも嬉しくて長々と書き散らかしてしまったが、それもこの記事で終わり。

さてさて、次はどこに行こう。(実は決まってるんだけども)



==================
ミャンマー旅行記


ミャンマー(その1) - ウォーキング・イン・ザ・リズム
ミャンマー(その2) - ずっと前
ミャンマー(その3) - ブルー・サマー
ミャンマー(その4) - あの娘が眠ってる
ミャンマー(その5) - デイドリーム
ミャンマー(その6) - スマイリング・デイズ、サマー・ホリデイ
ミャンマー(その7) - ジャスト・シング
ミャンマー(その8) - メロディ
ミャンマー(その9) - ロング・シーズン
ミャンマー(その10) - 100ミリちょっとの
ミャンマー(その11) - エヴリデイ・エヴリナイト
ミャンマー(その12) - ゆらめき・イン・ジ・エアー
ミャンマー(その13) - アイ・ダブ・フィシュ
ミャンマー(その14) - それはただの気分さ
ミャンマー(その15) - バックビートにのっかって

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

パキスタン - その3: カリマバード、ラホール

▲フンザの中心的な集落であるカリマバードをぶらついていた折に出会った地元の子 翌日早朝、再び例のポイントへと向かって見ると、彼の言うとおり水の流れが止まっており、僅かに車1台が通れるほどの隙間が片付けられていて、僕らはやっとカリマバードへたどり着くことが出来たった。 ▲バルティット・フォートとカリマバードの集落 カリマバードはかつてフンザ王国の藩主が住んでいた。未だにその住居であったバルティット・フォートは修繕を繰り返されながらも当時の姿を留めている。この城塞の歴史は(恐らく)15世紀から始まっておりかなり古い。王の住まいとして当時なりに堅牢で豪華に作られたとは言え、このフンザのあまりに厳しい自然環境の中においてはやや頼りなく見えなくもない。イギリス人達がこの地を訪れた時、この王の棲家を見てどう思ったろう。少なくとも、その国力に恐れおののくことは無かったんじゃないかな、と思ってしまう。冬の寒さを凌ぐために、一部屋辺りの面積を制限したんだと思うが、王や王女が踊り子を招き宴を開くのに使ったという部屋は、僕の住む家のリビングと大差ない広さに見えた。窓から見える渓谷と農村の風景はとびきり美しかったのだが。 ▲カリマバードの小道 登山家の故長谷川恒男氏の奥様が建てられたという学校があるという事で、ぶらりと立ち寄ってみた所、中を見学させてもらえた。それは僕らが日本人だからだったのかもしれない。施設はとても立派なもので、蔵書を眺めてみると英語で書かれた書籍が多く、ジャンルも幅広く取り揃えられている。パキスタンの平均的な僻地の学校と比べると大分恵まれているのではなかろうか(他を見たことがあるわけではないけど)。長谷川氏は、カリマバードからもその姿を拝むことが出来るウルタルのⅡ峰で雪崩にあって亡くなったそうだ。滞在中、何度も山の方を見やるのだが、常にガスっていて全体像を把握する事は結局出来なかった。 ▲レディースフィンガー 一方、いつか見てみたいと思っていたレディースフィンガーはしっかりと目に焼き付けることが出来た。この不気味なナイフのような山は、1995年に山野井泰史氏が独自のルートで登攀したそうだが、途中で食料が尽き果て、ラマダンのように痩せ細ってしまったという。冷たい垂壁に何日間も張り付き、岩雪崩に怯えながら空腹を耐え忍び、ジリジリとてっぺ

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。