豪奢とかいうレベルじゃない。理解不能な宇宙観を前に、僕らはただゲラゲラ笑うしかなかった。
バガンからヤンゴンに戻ってきた僕らは、シュエダゴン・パゴダへと向かった。時刻は8時を回った頃だった。日中、灼熱のバガンを歩きまわっていた僕らはそれなりに疲れていたはずだったが、ミャンマー観光をこの国の最大の聖地であるパゴダで締めくくるべくタクシーを飛ばした。
国内外から毎日多くの仏教徒が参拝するこのパゴダはとにかくデカい。ちょっとした丘の上を占有している境内へはなんとエレベーターで向かったのだった。
この仏塔に貼り付けられた金箔の数は8600枚以上で、先端に備え付けられた76カラットの馬鹿でかいダイヤモンドを始め、総計5451個のダイヤモンドと1383個のルビーなど各種宝石でこれでもかと言わんばかりに装飾されている。どういう神経があればそういうチョイスができるのか甚だ謎だが、極めつけに設置されたのはこれまた馬鹿みたいな量のLEDである。照明の光を反射する黄金の輝きとは別に、妙にテクノな赤や緑、青色の光線がビカビカと存在を主張している。
このパゴダには、遥か2500年以上前に仏陀の整髪が奉納されたらしい。それ以来、国中からありったけの信仰心をかき集めてその整髪に塗りたくり続けた結果このような形状になったようだ。
あまりに強烈な光景に当てられ、くらくらと目が回る感覚を覚える。異様な建造物に向かって真剣な眼差しで祈りを捧げる教徒もまた同様に異様であり、リアリティはどんどん希薄になっていく。
聖水をたたえられた仏足石はそれだけで有難いものなんだろうが、その水面にはなんと仏陀の尊顔が映ってさえいる。
恐らく仏陀の身体から放たれる光輪を表現しているのだろうが、LEDの光はどう考えてもミスチョイスである。この人達はふざけているのだろうかとすら思ったが、集まった仏教徒が祈る顔つきはやはり真剣である。笑ってはいけない。
「CRゴータマ・シッダールタだね」
先輩のその一言が僕らにとってのシュエダゴン・パゴダを全て形容していた。
シュエダゴン・パゴダを後にした僕らは宿を探した。時刻は既に10時を回っていたと思う。急速に開国しつつあるこの国においては、宿の数が旅行客の数に対してまだまだ追いついていない。空き部屋探しは難航した。
どの宿を当たっても満室だと断られ、どでかいバックパックを背負って歩きまわる僕らの足は徐々に重くなり、ついに足取りが止まった。
スーレー・パゴダの付近で途方に暮れてガイドブックを広げていた頃、とあるミャンマー人が僕らを助けてくれた。彼はガイドブックに載っている宿に片っ端から電話をかけてくれ、空きがないか確認してくれたのだった。
彼は日本語が堪能で、聞けば長いこと日本で仕事をしていたとのこと。僕は、日本語を使う旅先の人間を基本的に信用しないことにしている。しかし、この時は時間も時間で、現地の人間の力を借りでもしないと寝床にありつけなさそうだったし、何よりもこの国の人々の異常に親切な性格をある程度わかっていたので、彼の手助けを断ることはしなかった。
彼が電話をかけた宿のうち、ひとつに空き部屋があるという。一緒にタクシーで向かってみると、特に怪しいところもない外国人向けの一般的なゲストハウスだった。案内料を請求することもなく、彼は家に帰っていった。この国で出会う人々はなぜこうも優しいのだろう。
何はともあれ無事寝床を確保した僕らは、ミャンマー最後の夜も飲み散らかすべく、先日訪れた通りにいそいそとやってきた。
時刻は11時を過ぎていた。もしかすると軒並み店じまいしてしまっているのではないかと不安だったが、タクシーが通りに近づくにつれにわかに屋台の煌々とした明かりが目に入るようになり、安心した。
最後の夜は静かに過ぎていった。もうする必要がなくなった緊張が解けたからかもしれない、先日訪れた際にはさして気にならなかった椅子と机の高さの不整合が妙に気になった。
店を後にしたのは2時過ぎ頃だ。この頃になると屋台も店じまいを始め、この通りに残っている外国人はいつの間にか僕らだけになっていた。体力的にはまだまだ飲めたが、店が閉まってしまうのではどうしようもない。それに、明日、一足先にヤンゴンを発つ先輩のフライトは早朝だった。
僕らは大人しく深夜のヤンゴンの街をふらふらと歩き帰った。宿の位置を忘れてしまったため、街角にたむろする人々に何度も道を訪ねつつ。
翌朝、先に発つ先輩を見送り、続いて僕が空港へ向かった。最後に残ったもう一人の先輩がヤンゴンを出るのは夜とのことだった。
旅の終わりはあっけない。諸々の事情で乗り換えに際して一度イミグレーションを通過するハメになった挙句、到着便のディレイで時間に余裕がなくなり、僕はバンコクスワンナプーム空港をひたすら走った。
帰りのフライトで旅の余韻をうまく消化しきれなかった僕は、帰国後数日間、旅の最中に感じていた高揚感を引き続き腹の中に留めたまま生活を送ることになる。二人の先輩もどうやらそれは同じだったようで、また、この感覚を共有できるのはやはり彼らだけだった。
いつかのタイ旅行の最中に出会ったミャンマーという国との再会は想像以上に痛快で、あまりにも嬉しくて長々と書き散らかしてしまったが、それもこの記事で終わり。
さてさて、次はどこに行こう。(実は決まってるんだけども)
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ミャンマー旅行記
ミャンマー(その1) - ウォーキング・イン・ザ・リズム
ミャンマー(その2) - ずっと前
ミャンマー(その3) - ブルー・サマー
ミャンマー(その4) - あの娘が眠ってる
ミャンマー(その5) - デイドリーム
ミャンマー(その6) - スマイリング・デイズ、サマー・ホリデイ
ミャンマー(その7) - ジャスト・シング
ミャンマー(その8) - メロディ
ミャンマー(その9) - ロング・シーズン
ミャンマー(その10) - 100ミリちょっとの
ミャンマー(その11) - エヴリデイ・エヴリナイト
ミャンマー(その12) - ゆらめき・イン・ジ・エアー
ミャンマー(その13) - アイ・ダブ・フィシュ
ミャンマー(その14) - それはただの気分さ
ミャンマー(その15) - バックビートにのっかって