スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2013の投稿を表示しています

インド - カニャークマリ(その3)

重い荷物を背負って連日移動していることが奏功していたのだろうか、日を追う毎に贅肉を落とし、代わりに幾ばくかの筋肉を久しぶりに纏いつつあった僕の身体は、常に食い物を欲していた。 カニャークマリのレストランは、店構えは簡素だが味はなかなか良い店が多い。食欲のままに、好きなだけ飯を食っていた。 やや早い時間に昼飯を食い、ホテルに戻ってテラスに椅子を置き、飽きるまで本を読んだ。 テラスから遙か遠方を眺むと無数の風車が回っているのが見える。 果てることのない風車の林立、巨大なキリスト教の教会の白壁、空き地でクリケットに勤しむ子供たち、その空き地を徘徊する親子の黒豚。毎日変わることのないテラスからのこの眺めは気持ちが良かった。 インターネット環境の無いホテルだったので、メールのチェックなどをするためにはホテルの近所のネット屋に赴く必要があったが、頻繁にそこに通っていたので店員もすっかり僕に気を許したのか、僕を店に残して遊びに出かけるようになり、しまいには僕が店番をする羽目になることもあった。 暑さの和らぐ時間帯に漁村の様子を見に行くのも日課になった。 シャツにルンギーというお決まりの格好の海の男たちは、いつも談笑をしながらその日の獲物をプラスチック製の籠に収め、丁寧に網の手入れをしていた。 ひと通り漁村の中を見終えた僕は、夕陽を眺めにビーチ方面へ歩いた。 その道中、野球のアンダーウェアにトレパン、トレシューを纏った坊主頭の日本人と出会った。年は僕と同じくらいだっただろうか、深く日焼けしコケた頬と伸び放題の無精ひげという面構えから旅行者であることはすぐに分かった。 挨拶を交わし話しを聞いてみると、彼もこの穏やかな街を気に入ったようで、しばらく滞在することに決めたとのことだった。アスリート然とした格好をしている理由を尋ねると、毎日海岸線をジョギングしているからだという。ヒマな奴だな、自分のことは棚にあげて率直に思ったのを覚えている。 この日の夕陽も、いつもと何ら変わることなくアラビアの海に無事沈んでいった。 パトロールを終え、ホテルへと帰る。 ホテルの前で、以前漁村で出会った日本人の老夫婦と再開した。せっかくなので晩ごはんを一緒に食べようという話になり、ホテル内にある少し良いレストランでごちそうになった。

インド - カニャークマリ(その2)

カニャークマリの漁村はとにかく賑やかだった。ボケッとつったって海を眺めていると、どこからともなく子供や鳥、犬や猫などが現れて異邦人を取り囲む。 写真を撮ってくれとせがんでくる彼らにレンズを向けるときゃっきゃとはしゃぐ。金品を要求してこない無垢な様子が新鮮だった。 首輪をした犬はどうやら狂犬化を免れているようで、おとなしかった。 漁業を生業に細々と暮らしているのであろうこの村落の人々の生活風景には、不思議と貧しさが感じられなかった。はてそれはどうしてだろうと考えていた時、いきなり後ろから日本語で話しかけられた。 振り返ると、そこには初老の男性と、その妻と思しき同じく初老の女性が立っていた。こんなところで日本人に会うと思っていなかった僕はびっくりしてしばし言葉を失った。 まさか観光客ではあるまいと思いつつ挨拶を交わし、話を聞いてみると、そのまさかだった。定年退職後の暇を持て余した夫婦の旅行とのことだが、こんな辺鄙な街を訪れるとはなんとも物好きである。しかも、どうやら鉄道や長距離バスを駆使してインド中を巡り、行く先々で安宿に飛び込んでは湿ったベッドに潜む南京虫と格闘しているようで、その辺の軟弱な学生バックパッカーより遥かにタフなご様子である。 聞けば、ご主人は若かりし頃に貧乏旅行をしまくっていたクチらしいが、奥様は今回初めてその酔狂な趣味に付き合ってみたとのこと。しかしさすがに長旅で疲れが溜まり体調を崩しかけてきたので、この穏やかな街で少し良いホテルに泊まって英気を養っているとのことだった。 親子ほども年の差のある日本人同士の邂逅であったが、のんびりとした漁村の夕暮れの風景も手伝って話は弾んだ。 肌寒くなってきた頃にその夫妻と別れ、僕らはホテルの近くの適当なレストランでミールスを摘み、ホテルに帰って洗濯などを済ませて眠った。 翌朝は6時頃起床し、とぼとぼと朝日を拝みに前日歩いた海沿いの道へ向かう。そこは日の出を待つインド人観光客で既に溢れていた。 ベンガル湾とインド洋の間あたりだろうか、とにかくその辺から朝日がぽこっと顔を出し、その様を眺めていたインド人観光客は大げさに歓声を上げた。 彼らは日の出と共に海に入り、沐浴を始めるが、ただの水遊びに終始しているようにしか見えない者も大勢いた。 ひと通りそ

インド - カニャークマリ(その1)

トリヴァンドラムの喧騒に嫌気が指して飛び乗ったバスは、インド最南端の街、カニャークマリを目指していた。 特に見たかったものがあるわけではない。ただ、そこがインドの端っこであるというのなら、なんとなく到達しておきたかったのである。"端っこ"は不思議と人を惹きつける。そこに行けば何かとても素敵なものと出会えるんじゃなかろうか、という期待を持たせてくれる。端っこであることはただそれだけで魅力的なのである。(大抵たいしたものはないんだけど) で、カニャークマリである。 この街の位置するコモリンと名付けられた岬では、アラビア海、インド洋、ベンガル湾という3つの海が出会うポイントであり、太陽は朝、ベンガルの海から顔を出し、夕にはアラビアの海に沈んでいく。 せっかくなのでシービューの部屋に泊まりたいと考えた僕らは、バックパッカーには割高な、マニッカムという中級ホテルに荷を降ろした。景色は申し分なく、テラスから見下ろす漁村の風景はのどかであった。すぐそばの空き地では、子どもたちがクリケットに興じていた。 ホテルの脇の、海へと向かう細い路地は迷路のように入り組んでおり、所狭しと並んだ家々からは子どもたちが飛び出してきた。 岬の先端に立つ、クマリ・アンマン寺院へと続く参道には、観光客向けの土産やが並んでいて、人々で賑わっている。外国人観光客はほぼ見当たらず、巡礼目的のインド人ばかりだった。外国人相手の商売じゃないからだろうか、店を冷やかして回ってもあまり構ってはもらえず、それはそれで居心地が良かった。 寺院方面へさらに散策を続けると小さなビーチにたどり着いた。どうやらここがインド最南端のようだ。海に入っているインド人のうち何割かは呑気に水遊びをしていたが、中には真剣な面持ちで沐浴をしている者もいた。ここは一応聖地なのだ。 南を見やると、岩の上に立派なお堂があり、更に隣の岩にはどでかい像がこちらを向いて立っているのが見える。お堂はヴィヴェーカーナンダというヒンドゥー教のエライ人がその岩の上で瞑想した事にちなんで建てられたらしく、となりの像はタミルのティルヴァッルヴァルという詩人の像らしいが、なんでそこに建てられたのかは不明。 観光客で溢れる岬の先端部分をひと通りぶらついた後は、ホテル方面へと戻り、脇の路地を