シェムリアップ地域を治めた王たちは、その力を誇示するために豪壮な寺院を造営する必要があったらしい。1辺1000メートル以上の堀に四方を囲まれたアンコールワットへと続く参道に立つと、そのスケールに圧倒され、創健者であるスールヤヴァルマン2世の権力が如何に強大であったかがわかる。この寺院が完成するまでにはなんと40年近い年月を要したとのことだ。
200メートルはあるのではないかと思われる参道を歩くと、ようやく西塔門にたどり着く。
西塔門をくぐると、ようやくガイドブックやらで見覚えのある祠堂の全体像を拝むことができる。
一歩一歩近づく毎に変わってゆく祠堂の姿を噛み締めるように見つめながら近づく。
壁面にびっしりと刻まれたレリーフを眺めながら回廊を歩く。
ラーマーヤナだかマハーバーラタだかわからないが、ヒンドゥーの叙事詩のひとコマを切り取ったレリーフはどれも壮大で、思わず嘆息する。
乳海攪拌を再現した壁面では、大蛇の胴体を引く阿修羅が延々と連続し、歩いても歩いても、その中心に君臨するヴィシュヌに辿りつける気がしなかった。
祠堂は回廊によって3重に囲まれており、第1回廊から第2回廊へ、第2回廊から第3回廊へ移動する為にはそれぞれ階段を登ることになる。
驚くべきは、第3回廊の内側部分に作られた浴場であろう。王が沐浴か何かを行うために作られたものだろうが、3階に相当する部分に浴場を作るということは、それだけ密に石を敷き詰め、階下への水漏れを防ぐだけの技術があったということだ。
回廊から祠堂までひと通り見終わり、外に出ると、遠くから歩いて来る二人の若い層が見えた。暴力的な日光を避ける為に、彼らは袈裟を頭から被っていた。
参道から外れてみると、よく目にする逆さアンコールワット像が拝めるスポットにたどり着いた。
トゥクトゥクのドライバーと落ち合う約束の時刻まで少し時間があったので、近くの食堂に腰を下ろし、その名もアンコールなるビールを啜る。特別美味いわけではないが、きりりとよく冷えており悪くない。
隣の卓では、中国人の団体旅行客が一様にココナッツジュースを啜りながらやかましく騒ぎ立てている。彼らの無遠慮なやかましさにはいつも辟易するが、この時ばかりは暑さにやられて席を変える気力も沸かなかった。
やがてドライバーと落ちあい、日のくれる前に遺跡群を後にした。
この頃になるとさすがに暑さもやわらいでおり、街は慌ただしく夜を迎える準備をしていた。