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8月, 2013の投稿を表示しています

PENTAX K-30とPENTAX-DA 16-50mm F2.8を買いました

上期を頑張った自分へのご褒美的にカメラとレンズをいっぺんに新調しちゃいました。 これまで使っていたPENTAXの一眼レフのエントリー機K-x(先輩からアホみたいな値段で売ってもらったお下がり)がそろそろぶっ壊れそうな雰囲気を醸していたので、その上位機種に当たるっぽいK-30と、コレ一本持っておけば大抵のシーンで使えるだろと思しきPENTAX-DA 16-50mm F2.8を買いました。長時間店内をウロウロしても優しく対応してくれたヤマダ電機とマップカメラの店員さんありがとう。 明るいレンズ楽しいね!ようしらんけど、PENTAX-DA 16-50mm F2.8は絵がもんやりしているのかな。 何を隠そう私のカメラについての知識はド素人レベルなので、細かいことはよくわからないまま(もちろん写真の技術についても)ホイホイと金をぶっこんではしょうもない写真をブログやらFlickrにアップしては自己満足に浸っているんだけど、そんな事はさておき新しいガジェットを手にした時のワクワク感ったらたまらんですね。楽しい。 最近出かけしなに一眼を持ち歩くのが億劫になって全然写真を撮っていなかったんだけど、久しぶりにやる気が出てきたぞ。  

アンコールワット - その8:パンテアイ・スレイと旅のおわり

朝目が覚めると嫌な悪寒がした。起き上がって煙草を吸ってみるとひどく不味い。 トイレまで歩いて見るとフラフラした。 どうやらファンの風に晒されたまま眠ったのがよくなかったらしい。体温計で熱を測ってみると37.5℃だった。少し怠いが、出かけられないほどではない。 身支度を整え、朝食を摂るべくゲストハウスに併設されたレストランに向かった。注文したヨーグルトを食べ煙草をふかしていると、暇そうなスタッフがテーブルに寄ってきたので、中身のない会話を気だるく交わした。 出発の時刻となったので葛根湯を三袋ほど飲んでから外に出ると、いつもと変わらぬ笑顔のドライバーが待ち受けていた。この日は郊外にある遺跡群まで足を伸ばす予定となっていた。 街を出て数十分もすると、見たわす限り木と草しかない景色が広がった。牧草地にも見えなくないこの土地からも、地雷は既に撤去されているようだ。 出発してから1時間ほどでたどり着いたのが、パンテアイ・スレイという遺跡だ。 比較的小さな規模の遺跡だが、ラテライトの赤い色が映え、施されたレリーフはどれも美しく、見ていて飽きない。 深く彫り込まれたこれらのレリーフは「マハーバーラタ」のワンシーンを模したものであるようだ。あまりその辺の造詣がないのが悔やまれた。 シェムリアップから大分離れた場所に位置しているとはいえ観光客の多い遺跡で、団体客を連れ立って歩くガイドの説明を盗み聞きしながら見て回った。 残念な事に、小一時間かけて遺跡を見終わった頃には如実に体調が悪化していた。 今日はあまり体調がよくないのでもう帰ってくれないか、金は丸1日分のチャーター料を払うから安心してくれ、とドライバーに伝え、元来た道をシェムリアップ方面へ戻ってもらった。 真っ直ぐ宿に帰ってしまうのもなんだか心寂しいので、アンコール・ワットを取り囲む濠のほとりの木陰にトゥクトゥクを停めてもらい、しばらく濠越しのアンコール・ワットを眺めていた。 芝生に腰を下ろし煙草をふかしてぼんやりしていると、ドライバーもトゥクトゥクから降りて隣に座り、この国の歴史についてぽつりぽつりと話してくれた。 シャム、ベトナムによる二重属国状態やフランスによる植民地化、その後の内戦とポル・ポト派による急進的な共産主義政策の断行、そしてまた勃発す

アンコールワット - その7:プレ・ループなど

額から止めどなく流れ落ちる汗を拭いながら灼熱のラテライトの上を歩く。このプレ・ループという寺院は、タ・プロームより更に200年ほど前に創建されたのだが、打って変わって未だに堅くその原型を留めている。 三層に高く重ねられた基壇を登りきると、ふらりと倒れそうになる。祠堂の影で休んでいた他の観光客が心配して声をかけてくれた。 左右対称に作られた寺院のど真ん中の祠堂の影に腰を下ろし、煙草をふかした。チリチリとあらゆるものが焼かれてゆく様を見守る。遥か遠くの木陰でトゥクトゥクのおやじが昼寝をしているのが見えた。 昼飯の前にもう一つくらい見ておこうと思い立ち寄ったタ・ソムという寺院は、人気の少ない場所だった。東塔門を覆う木は、リエップという名前らしい。 物売りの子らも訪問者を見ても商売っ気を出さず、商売をサボってままごとのような遊びに興じていた。 僕以外に客のいないレストランで昼飯を摂った。グリーンカレーのようなもので、味は悪くなかった。時間をかけてビールを啜り煙草をふかしていると、パイナップルとバナナをサービスで出してくれた。本当にタダでもらえるのか、と訝しむ僕の顔を見て、店の子はニヤニヤしていた。 この日最後に見たのは、プリア・カンと呼ばれる比較的大きな寺院だった。 13人の踊り子たちのレリーフは綺麗に残っているものの、仏像のレリーフは削り取られている。仏教を保護した当時の王政が終わりを告げた頃、それまで弾圧されていたヒンドゥー教徒によって破壊された跡との事だった。さてその弾圧とはどのようなものだったのか僕にはわからないが、石のレリーフをご丁寧に剥ぎ取る作業はそれなりの労苦が伴うだろう。よほど鬱憤がたまっていたことは間違いない。 夕暮れ前にシェムリアップ市街地に戻り、またしても市場をうろついて軽食を摂った。サーターアンダギーがイメージされて思わず買った揚げパンは、ふた齧りほどすると中からゆで卵が出てきて驚いたが、これはこれで美味かった。 宿につくと、店のスタッフとローカルのカンボジア人たちがビールを飲んでいた。特にやることもないので僕も加わり、下世話な話からお互いの国の経済情勢などについてダラダラとくっちゃべっていた。 アンコール遺跡群の保全、あるいはシェムリアップの道路整備等の為に、日本がどれだ

アンコールワット - その6:タ・プロームなど

スラ・スラン。 王が沐浴をする為の池として作られたようだが、あまりにも大きい。 この日僕は、朝早くから前日と同じドライバーの駆るトゥクトゥクに乗り込み、アンコール・ワット以外の遺跡を見に出かけていた。 この日も朝から強い日差しが降り注ぎ、とても暑かったのを思い出す。 池に背を向けると、バンテアイ・クデイと呼ばれる遺跡の門が見える。 門をくぐり、回廊の中に足を踏み入れようとすると、子どもたちが奥から駆け出てきた。遺跡群の中に住居はないので、物売りたちが連れてきた子どもたちだったのかもしれない。 所々に美しいデバターが残っている以外は取り立てて見どころのない遺跡だったが、それでも外界と隔てられた迷路のように入り組む回廊の中に佇んでいると不思議とワクワクしてくるのであった。 そうしてようやく、僕はタ・プロームにたどり着く。 約900年前、この寺院には5000人余りの僧侶と600人超の踊り子が住んでいたそうだが、その面影は微塵も感じられない。そこにあるのは圧倒的な暴力である。 ギャグのような光景が広がる。敢えて樹木の除去や寺院の本格的な修復を行わずにいた結果、木々は力強く遺跡を侵食したようだ。 ただでさえ入り組んだ回廊内の道を太い根が分断し、より複雑な迷路を形成している。 ここまでコテンパンにのされているのを見ると笑えさえする。 生者必滅だか栄枯盛衰だか諸行無常だかよくわからないが、とにかくそういう類の概念を痛快に思い出させてくれる場所だった。 時間も忘れてタ・プロームの中を彷徨いバシャバシャとシャッターを切っていると、いつのまにか太陽は天高く上り、時刻は正午を迎えようとしていた。 --------------------------------------------------- アンコール遺跡群への旅の記録 アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン アンコールワット - その4:アンコールワット アンコールワット - その5:シェムリアップ アンコールワット - その6:タ・プロームなど