朝目が覚めると嫌な悪寒がした。起き上がって煙草を吸ってみるとひどく不味い。
トイレまで歩いて見るとフラフラした。
どうやらファンの風に晒されたまま眠ったのがよくなかったらしい。体温計で熱を測ってみると37.5℃だった。少し怠いが、出かけられないほどではない。
身支度を整え、朝食を摂るべくゲストハウスに併設されたレストランに向かった。注文したヨーグルトを食べ煙草をふかしていると、暇そうなスタッフがテーブルに寄ってきたので、中身のない会話を気だるく交わした。
出発の時刻となったので葛根湯を三袋ほど飲んでから外に出ると、いつもと変わらぬ笑顔のドライバーが待ち受けていた。この日は郊外にある遺跡群まで足を伸ばす予定となっていた。
街を出て数十分もすると、見たわす限り木と草しかない景色が広がった。牧草地にも見えなくないこの土地からも、地雷は既に撤去されているようだ。
出発してから1時間ほどでたどり着いたのが、パンテアイ・スレイという遺跡だ。
比較的小さな規模の遺跡だが、ラテライトの赤い色が映え、施されたレリーフはどれも美しく、見ていて飽きない。
深く彫り込まれたこれらのレリーフは「マハーバーラタ」のワンシーンを模したものであるようだ。あまりその辺の造詣がないのが悔やまれた。
シェムリアップから大分離れた場所に位置しているとはいえ観光客の多い遺跡で、団体客を連れ立って歩くガイドの説明を盗み聞きしながら見て回った。
残念な事に、小一時間かけて遺跡を見終わった頃には如実に体調が悪化していた。
今日はあまり体調がよくないのでもう帰ってくれないか、金は丸1日分のチャーター料を払うから安心してくれ、とドライバーに伝え、元来た道をシェムリアップ方面へ戻ってもらった。
真っ直ぐ宿に帰ってしまうのもなんだか心寂しいので、アンコール・ワットを取り囲む濠のほとりの木陰にトゥクトゥクを停めてもらい、しばらく濠越しのアンコール・ワットを眺めていた。
芝生に腰を下ろし煙草をふかしてぼんやりしていると、ドライバーもトゥクトゥクから降りて隣に座り、この国の歴史についてぽつりぽつりと話してくれた。
シャム、ベトナムによる二重属国状態やフランスによる植民地化、その後の内戦とポル・ポト派による急進的な共産主義政策の断行、そしてまた勃発する内戦と長期化する二重政権状態。彼の口から語られるこの国の歴史は、混乱と疲弊に塗れていた。それでも彼の表情が暗くないのは、政情の安定化や高い経済成長率など、この国の将来がこれから良くなっていくであろう事を予感させるニュースに触れる事が多いからなんだろう。悲劇の底打ち感とでも言おうか、安堵と、そしてこれから始まる上昇局面に対する期待が感じられる表情をしていた。
翌朝、体調はほぼ回復し、洋々とクアラルンプール経由でシンガポールまで帰ろうとしていたのだが、ちょっとしたトラブルが発生した。なんとシェムリアップからクアラルンプールまで飛ぶ予定だったエアアジア便が、搭乗後に12時間ディレイになることが発覚したのだ。
飛行機から降り、さてどうしたものかと考えこんでいると、同じ飛行機に乗る予定だったと思しき日本人が集まっているのが目についた。声をかけてみると、どうやらたまたまその場に居合わせた初対面の面々のようで、この事態をどう切り抜けるか相談している様子。年齢も近そうだったので、僕も混ぜてもらうことにした。
ひょんな事で知り合った計4人の日本人達は、クアラルンプール以降の旅程もそれぞれ異なった。色々と検討して、少しでも早くクアラルンプールへ発つべく他社の便を使う事に決めた者、12時間待つことに決めた者、それぞれだったが、僕はと言えば、クアラルンプールをすっ飛ばしてシンガポールへ直接飛ぶことに決め、シルクエアーのオフィスで数時間後にシェムリアップを発つ便を予約したのだった。
時間を持て余していたので、一度市街地まで戻ってみんなでビールを飲んだ。
吊り橋効果か何なのか知らないが、こういう状況下で知り合う人とはすぐに打ち解けられることが多いですね。
夕刻、12時間ディレイが確定した便を待つ2人を置いてシルクエアー便に乗り込み、僕は一足先にシェムリアップを後にした。
シンガポールでは、タイミングが良くヘイズの影響が小さかったのか青い空を眺めることができた。昼間はマリーナベイをぶらつきつつビールを飲み、夜はUOBプラザの屋上で花火を見下ろしながらまたしてもビールを飲んだ。
こうして今年のゴールデンウィークが終わったのだった。
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アンコール遺跡群への旅の記録
アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール
アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ
アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン
アンコールワット - その4:アンコールワット
アンコールワット - その5:シェムリアップ
アンコールワット - その6:タ・プロームなど
アンコールワット - その7:プレ・ループなど
アンコールワット - その8:パンテアイ・スレイと旅のおわり