スキップしてメイン コンテンツに移動

アンコールワット - その7:プレ・ループなど

IMGP0997

額から止めどなく流れ落ちる汗を拭いながら灼熱のラテライトの上を歩く。このプレ・ループという寺院は、タ・プロームより更に200年ほど前に創建されたのだが、打って変わって未だに堅くその原型を留めている。

IMGP1005

三層に高く重ねられた基壇を登りきると、ふらりと倒れそうになる。祠堂の影で休んでいた他の観光客が心配して声をかけてくれた。

左右対称に作られた寺院のど真ん中の祠堂の影に腰を下ろし、煙草をふかした。チリチリとあらゆるものが焼かれてゆく様を見守る。遥か遠くの木陰でトゥクトゥクのおやじが昼寝をしているのが見えた。

IMGP1031

昼飯の前にもう一つくらい見ておこうと思い立ち寄ったタ・ソムという寺院は、人気の少ない場所だった。東塔門を覆う木は、リエップという名前らしい。
物売りの子らも訪問者を見ても商売っ気を出さず、商売をサボってままごとのような遊びに興じていた。

IMGP1045

IMGP1047

僕以外に客のいないレストランで昼飯を摂った。グリーンカレーのようなもので、味は悪くなかった。時間をかけてビールを啜り煙草をふかしていると、パイナップルとバナナをサービスで出してくれた。本当にタダでもらえるのか、と訝しむ僕の顔を見て、店の子はニヤニヤしていた。

IMGP1096

IMGP1089

RIMG0108

この日最後に見たのは、プリア・カンと呼ばれる比較的大きな寺院だった。

13人の踊り子たちのレリーフは綺麗に残っているものの、仏像のレリーフは削り取られている。仏教を保護した当時の王政が終わりを告げた頃、それまで弾圧されていたヒンドゥー教徒によって破壊された跡との事だった。さてその弾圧とはどのようなものだったのか僕にはわからないが、石のレリーフをご丁寧に剥ぎ取る作業はそれなりの労苦が伴うだろう。よほど鬱憤がたまっていたことは間違いない。

IMGP1112

RIMG0120

夕暮れ前にシェムリアップ市街地に戻り、またしても市場をうろついて軽食を摂った。サーターアンダギーがイメージされて思わず買った揚げパンは、ふた齧りほどすると中からゆで卵が出てきて驚いたが、これはこれで美味かった。

宿につくと、店のスタッフとローカルのカンボジア人たちがビールを飲んでいた。特にやることもないので僕も加わり、下世話な話からお互いの国の経済情勢などについてダラダラとくっちゃべっていた。

アンコール遺跡群の保全、あるいはシェムリアップの道路整備等の為に、日本がどれだけの資金を提供したか彼らはよく知っていた。日本には感謝している、とおべんちゃら半分で言う彼らに対し、僕は税金を払っているだけだよと返した。彼らのうちの一人は流暢な日本語を話した。職を得るために日本語学校に1年通ったらしいが、現在は無職との事だった。聞けば、日本人の彼女がいた事もあると言う。日本語の上手い観光地のローカルによくある話だ。

男4人で景気よく缶ビールを飲んでいると、あっという間にテーブルの上には缶のタワーが出来上がった。追加のビールを買うべく出かけようとする僕を制し、俺達が買うほうが安いから、と1人が出かけていった。どうやら外国人価格はローカルのちょうど倍程度らしい。結局ほとんど彼らに奢ってもらう形になったのであった。

明日は俺の家族と鍋を食いに行こう、とスタッフに誘われた。面倒くさそうな顔をしていると、割り勘だから安心してくれと言う。明日考えるよと言い残し、ひとりで飲み直すべく僕はパブストリートに出かけた。



---------------------------------------------------
アンコール遺跡群への旅の記録

アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール
アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ
アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン
アンコールワット - その4:アンコールワット
アンコールワット - その5:シェムリアップ
アンコールワット - その6:タ・プロームなど
アンコールワット - その7:プレ・ループなど
アンコールワット - その8:パンテアイ・スレイと旅のおわり

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

パキスタン - その3: カリマバード、ラホール

▲フンザの中心的な集落であるカリマバードをぶらついていた折に出会った地元の子 翌日早朝、再び例のポイントへと向かって見ると、彼の言うとおり水の流れが止まっており、僅かに車1台が通れるほどの隙間が片付けられていて、僕らはやっとカリマバードへたどり着くことが出来たった。 ▲バルティット・フォートとカリマバードの集落 カリマバードはかつてフンザ王国の藩主が住んでいた。未だにその住居であったバルティット・フォートは修繕を繰り返されながらも当時の姿を留めている。この城塞の歴史は(恐らく)15世紀から始まっておりかなり古い。王の住まいとして当時なりに堅牢で豪華に作られたとは言え、このフンザのあまりに厳しい自然環境の中においてはやや頼りなく見えなくもない。イギリス人達がこの地を訪れた時、この王の棲家を見てどう思ったろう。少なくとも、その国力に恐れおののくことは無かったんじゃないかな、と思ってしまう。冬の寒さを凌ぐために、一部屋辺りの面積を制限したんだと思うが、王や王女が踊り子を招き宴を開くのに使ったという部屋は、僕の住む家のリビングと大差ない広さに見えた。窓から見える渓谷と農村の風景はとびきり美しかったのだが。 ▲カリマバードの小道 登山家の故長谷川恒男氏の奥様が建てられたという学校があるという事で、ぶらりと立ち寄ってみた所、中を見学させてもらえた。それは僕らが日本人だからだったのかもしれない。施設はとても立派なもので、蔵書を眺めてみると英語で書かれた書籍が多く、ジャンルも幅広く取り揃えられている。パキスタンの平均的な僻地の学校と比べると大分恵まれているのではなかろうか(他を見たことがあるわけではないけど)。長谷川氏は、カリマバードからもその姿を拝むことが出来るウルタルのⅡ峰で雪崩にあって亡くなったそうだ。滞在中、何度も山の方を見やるのだが、常にガスっていて全体像を把握する事は結局出来なかった。 ▲レディースフィンガー 一方、いつか見てみたいと思っていたレディースフィンガーはしっかりと目に焼き付けることが出来た。この不気味なナイフのような山は、1995年に山野井泰史氏が独自のルートで登攀したそうだが、途中で食料が尽き果て、ラマダンのように痩せ細ってしまったという。冷たい垂壁に何日間も張り付き、岩雪崩に怯えながら空腹を耐え忍び、ジリジリとてっぺ

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。