額から止めどなく流れ落ちる汗を拭いながら灼熱のラテライトの上を歩く。このプレ・ループという寺院は、タ・プロームより更に200年ほど前に創建されたのだが、打って変わって未だに堅くその原型を留めている。
三層に高く重ねられた基壇を登りきると、ふらりと倒れそうになる。祠堂の影で休んでいた他の観光客が心配して声をかけてくれた。
左右対称に作られた寺院のど真ん中の祠堂の影に腰を下ろし、煙草をふかした。チリチリとあらゆるものが焼かれてゆく様を見守る。遥か遠くの木陰でトゥクトゥクのおやじが昼寝をしているのが見えた。
昼飯の前にもう一つくらい見ておこうと思い立ち寄ったタ・ソムという寺院は、人気の少ない場所だった。東塔門を覆う木は、リエップという名前らしい。
物売りの子らも訪問者を見ても商売っ気を出さず、商売をサボってままごとのような遊びに興じていた。
僕以外に客のいないレストランで昼飯を摂った。グリーンカレーのようなもので、味は悪くなかった。時間をかけてビールを啜り煙草をふかしていると、パイナップルとバナナをサービスで出してくれた。本当にタダでもらえるのか、と訝しむ僕の顔を見て、店の子はニヤニヤしていた。
この日最後に見たのは、プリア・カンと呼ばれる比較的大きな寺院だった。
13人の踊り子たちのレリーフは綺麗に残っているものの、仏像のレリーフは削り取られている。仏教を保護した当時の王政が終わりを告げた頃、それまで弾圧されていたヒンドゥー教徒によって破壊された跡との事だった。さてその弾圧とはどのようなものだったのか僕にはわからないが、石のレリーフをご丁寧に剥ぎ取る作業はそれなりの労苦が伴うだろう。よほど鬱憤がたまっていたことは間違いない。
夕暮れ前にシェムリアップ市街地に戻り、またしても市場をうろついて軽食を摂った。サーターアンダギーがイメージされて思わず買った揚げパンは、ふた齧りほどすると中からゆで卵が出てきて驚いたが、これはこれで美味かった。
宿につくと、店のスタッフとローカルのカンボジア人たちがビールを飲んでいた。特にやることもないので僕も加わり、下世話な話からお互いの国の経済情勢などについてダラダラとくっちゃべっていた。
アンコール遺跡群の保全、あるいはシェムリアップの道路整備等の為に、日本がどれだけの資金を提供したか彼らはよく知っていた。日本には感謝している、とおべんちゃら半分で言う彼らに対し、僕は税金を払っているだけだよと返した。彼らのうちの一人は流暢な日本語を話した。職を得るために日本語学校に1年通ったらしいが、現在は無職との事だった。聞けば、日本人の彼女がいた事もあると言う。日本語の上手い観光地のローカルによくある話だ。
男4人で景気よく缶ビールを飲んでいると、あっという間にテーブルの上には缶のタワーが出来上がった。追加のビールを買うべく出かけようとする僕を制し、俺達が買うほうが安いから、と1人が出かけていった。どうやら外国人価格はローカルのちょうど倍程度らしい。結局ほとんど彼らに奢ってもらう形になったのであった。
明日は俺の家族と鍋を食いに行こう、とスタッフに誘われた。面倒くさそうな顔をしていると、割り勘だから安心してくれと言う。明日考えるよと言い残し、ひとりで飲み直すべく僕はパブストリートに出かけた。
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アンコール遺跡群への旅の記録
アンコールワット - その1:シンガポール、クアラルンプール
アンコールワット - その2:シェムリアップからアンコールトム、バイヨンへ
アンコールワット - その3:アンコールトム、バイヨン、バプーオン
アンコールワット - その4:アンコールワット
アンコールワット - その5:シェムリアップ
アンコールワット - その6:タ・プロームなど
アンコールワット - その7:プレ・ループなど
アンコールワット - その8:パンテアイ・スレイと旅のおわり