スキップしてメイン コンテンツに移動

マラソン体験メモ

IMG_7250

以前から旅行はひとりですることが好きで、ひとりで旅をしているからこそ得られる喜びみたいなものを強く享受している自覚があったんだけど、その感覚の正体がいまいちよくわからなかった。

そして今年、たまたまひとりで山に登ったりする機会が増えたり、ひとりでジョギングを日常的に行う習慣が身についたりした。そこで驚いたのが、ひとりで登山することでも、ひとりで淡々と走り続けることでも、ひとりで旅するときに感じる喜びと似た感覚が得られるということだった。

この感覚の正体は一体何なのかなーと色々考えてみたんだけど、いまいちよくストンとハラオチする結論に至らなかった。共通するのは、いずれもひとりで肉体や精神を使うことだということだった。

そんな時に先輩に勧められて読んだ一冊の本に、自分が求めている概念のヒントみたいなものが書かれていた。

極論をいえば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。過剰なリスクを抱え込んだ瞬間を忘れられず、冒険者はたびたび厳しい自然に立ち向かう。そのようなある種の業が、冒険者を支配していることを否定することはできない。
あらゆる人間にとっての最大の感心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とはなにかという点に収斂される。
冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。

(上記のふたつの引用はいずれも角幡唯介 著「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」より)


上記の引用内の「冒険」と自分の旅行や登山、ジョギングを同じレベル感で語るのは無理があるが(僕の旅行やその他は全くもってそんな高尚なもんじゃない)、それでも何か通じるものを感じた。

何かしら自分を過酷な状況下に置いて、自分の意思で物事を決めたり、あるいは何かを達成したりする事に病みつきになっているんだと思う。肉体を痛めつけたり、心が折れそうになる体験をした時に、何か、自分という存在を再認識できるきっかけを見いだせると思っているのかもしれない。そしてそんな状況下では、誰かに考えを変えられたり、あるいは助けられたり、その為に義理を感じて思考や行動を制限される事はナンセンスだから、ひとりでいる事が好きなのかなと思う。ようわからんけど。

IMG_7261
今、諸々の都合で海外に長いこといるのだけど、僕がジョギングを趣味にしている事を知った友だちが、マラソン大会の参加権を買ってくれていた。ハーフマラソンを走った。

普段走る距離は多くても15km。ハーフは走ったことがなかった。
それでもいいから走ってみろという。しかも、ひとりで勝手に走ってくれと。ゴールで会う約束をして、走りだした。

いつものペースで走っていると、17kmくらい走った頃に妙に足に乳酸がたまり出すのを感じた。慣れない感覚だった。周りにはゴールを目指すランナー達が並走している。それでも、僕は外国人で、彼らとはろくに会話もできない。ファイト、と声をかける事すらできない。擬似的にではあるが、ひとりだった。

たかがハーフマラソンなんだけど、それでもしんどかった。ペースを落とさず、そして早めず、一定のリズムで走ればそれなりの早さでゴール出来るだろうと考え集中している時間はとても楽しかった。他のランナーは風景に溶け込んでいるようだった。

なるほど、友だちは僕のこういう性格を知っているから、敢えて一緒に走ることを提案せず、外国人の僕ひとりを自分のペースで走らせたのだろうなと思った。

お陰で初めてのマラソンは最高にテンションの上がる体験になった。
来年はフルマラソンを走ってみようと思う。それも、できればひとりで、言葉も通じない人たちに紛れて。

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。

休日

ちゃんとした蕎麦って妙にいい値段するよね。いいんだけど。 寒いけどまだチャリは乗れます。最高。 ここのメシ美味いんだよなー。 色々と後戻りできなくなってきました。