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マラソン体験メモ

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以前から旅行はひとりですることが好きで、ひとりで旅をしているからこそ得られる喜びみたいなものを強く享受している自覚があったんだけど、その感覚の正体がいまいちよくわからなかった。

そして今年、たまたまひとりで山に登ったりする機会が増えたり、ひとりでジョギングを日常的に行う習慣が身についたりした。そこで驚いたのが、ひとりで登山することでも、ひとりで淡々と走り続けることでも、ひとりで旅するときに感じる喜びと似た感覚が得られるということだった。

この感覚の正体は一体何なのかなーと色々考えてみたんだけど、いまいちよくストンとハラオチする結論に至らなかった。共通するのは、いずれもひとりで肉体や精神を使うことだということだった。

そんな時に先輩に勧められて読んだ一冊の本に、自分が求めている概念のヒントみたいなものが書かれていた。

極論をいえば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。過剰なリスクを抱え込んだ瞬間を忘れられず、冒険者はたびたび厳しい自然に立ち向かう。そのようなある種の業が、冒険者を支配していることを否定することはできない。
あらゆる人間にとっての最大の感心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とはなにかという点に収斂される。
冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。

(上記のふたつの引用はいずれも角幡唯介 著「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」より)


上記の引用内の「冒険」と自分の旅行や登山、ジョギングを同じレベル感で語るのは無理があるが(僕の旅行やその他は全くもってそんな高尚なもんじゃない)、それでも何か通じるものを感じた。

何かしら自分を過酷な状況下に置いて、自分の意思で物事を決めたり、あるいは何かを達成したりする事に病みつきになっているんだと思う。肉体を痛めつけたり、心が折れそうになる体験をした時に、何か、自分という存在を再認識できるきっかけを見いだせると思っているのかもしれない。そしてそんな状況下では、誰かに考えを変えられたり、あるいは助けられたり、その為に義理を感じて思考や行動を制限される事はナンセンスだから、ひとりでいる事が好きなのかなと思う。ようわからんけど。

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今、諸々の都合で海外に長いこといるのだけど、僕がジョギングを趣味にしている事を知った友だちが、マラソン大会の参加権を買ってくれていた。ハーフマラソンを走った。

普段走る距離は多くても15km。ハーフは走ったことがなかった。
それでもいいから走ってみろという。しかも、ひとりで勝手に走ってくれと。ゴールで会う約束をして、走りだした。

いつものペースで走っていると、17kmくらい走った頃に妙に足に乳酸がたまり出すのを感じた。慣れない感覚だった。周りにはゴールを目指すランナー達が並走している。それでも、僕は外国人で、彼らとはろくに会話もできない。ファイト、と声をかける事すらできない。擬似的にではあるが、ひとりだった。

たかがハーフマラソンなんだけど、それでもしんどかった。ペースを落とさず、そして早めず、一定のリズムで走ればそれなりの早さでゴール出来るだろうと考え集中している時間はとても楽しかった。他のランナーは風景に溶け込んでいるようだった。

なるほど、友だちは僕のこういう性格を知っているから、敢えて一緒に走ることを提案せず、外国人の僕ひとりを自分のペースで走らせたのだろうなと思った。

お陰で初めてのマラソンは最高にテンションの上がる体験になった。
来年はフルマラソンを走ってみようと思う。それも、できればひとりで、言葉も通じない人たちに紛れて。

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