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インド、ラダック探訪記 その5: シャンティストゥーパ、レー王宮など

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薄い空気に息を切らしながら坂道を登ると、荒涼とした、しかし美しいレーの町並みを見下ろせる高台に辿り着いた。
ここシャンティストゥーパはレーの外れにある丘陵にあるストゥーパで、日本人の仏僧によって建立されたらしい。

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定期的にメンテナンスされているのだろう。殺風景な背景の中に鮮やかに塗りたくられたペンキの色が眩しい。
坂の下で待っているタクシーの運転手には悪いが、人気のない境内をゆっくりと歩いて回った。
僕以外には、旅行で来た裕福なインド人と思しき家族が一組いただけだ。

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空気が薄いことに加え、風は強く、気温は低い。住環境としては決して良くない。それでも、耳を澄ますと、大工が電動ドリルを操る音、車が走る音、家畜が嘶く音、子供が叫ぶ音、様々な音が聞こえてくる。そこには確かに生活があり、人々の息遣いが聞こえてくるのだった。

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"LAMDON"。遥か遠くの丘陵の斜面には何かの文字列が大きく描かれていた。後ほど確認してみると、どうやら現地の中学校の名前のようだった。

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目に映る山々や建造物、その他諸々は、僕の興味を引くに十分だった。

山を越える、物資を運ぶ、上下水道を整備する、電線を張る、石を積む、木を組む、タルチョを渡す。
意味もなく、眼前の景色が完成するまでに重ねられた人々の苦労を思う。シャンティ・ストゥーパを作ろうと思い立った日本人の仏僧を思う。

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その後、タクシーでナムギャル・ツェモ・ゴンパへ向かった。
歩いて登る事も出来るが、昼間の倦怠感を思い出すと今日は大人しく車を使ったほうが良いと思われた。

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ナムギャル・ツェモ・ゴンパのある山を下り、旧レー王宮に向かう。

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残念ながら、王宮の中に入ることは出来なかった。
チベットはラサのポタラ宮が作られた際このレーの王宮がモデルになったという事ということだが、確かに似ている。
建造されたのが16世紀だそうで、未だなお美しい姿をとどめているのは改修のお陰と思われる。

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夕方旧市街に戻り、街にただひとつだけあるという酒屋でキングフィッシャーを瓶で買った。

宿に戻ると夕暮れが始まっている。
屋上に上がりその様子を見守っていると、宿の主人も部屋から出て来てたので、他愛もない話を少しだけした。
残念ながらこの宿に栓抜きが無いらしく、瓶ビールを飲むには少し苦労しそうだった。

部屋に戻り薪ストーブに火を入れる。
その音を聞きつけて、律儀な使用人の若者がバケツいっぱいに薪を詰めて持ってきてくれた。
彼に礼を述べていると、宿の主人の息子の嫁に当たる女性が、季節外れの珍客の様子を見に来たのであろう、勝手にドアを開けて部屋に入ってきた。

彼女は部屋に入るなり、その寒さに驚き、しきりに僕の事を気遣ってくれた。
その言葉は次第に、貧弱な薪ストーブで暖を取らせようとする主人のやり方や、その昔ながらの考え方への批判まで及び、遂にはそんな古臭い家に嫁いだが為に味わっている苦労をつらつらと語り始めた。
彼女は人のベッドにいつの間にか腰掛けすっかりくつろぎ、まるで若妻たちのお茶会の如く、とめどない愚痴を饒舌に聞かせてくれた。
歳は40に届かないくらいだろうか。愚痴とは言えど、彼女の表情に悲痛な様相はなく、静かに頷いたり時に笑ったりする日本人に話を聞かせることを楽しんでいるようにも見えた。
僕は僕で、そんな彼女の話を聞くことが苦痛では無く、悪い気もしなかった。
他人の家に入ることとなった女性の味わう悩みというのはどこの国でも似たようなものなのかもしれない。

ひとしきり言いたいことを言い終えた彼女は、思い出したように、翌日にはガスストーブを調達して部屋に設置すると約束してくれた。

時間は既に8時前頃になっていたと思う。
部屋を去ろうとする彼女に、どこか食事の出来る場所は無いか尋ねると、この時間には街の店は殆ど閉まっているから急いでバザールに行くべきだと言われ、ヘッドランプを掴んでいそいそと街に繰り出した。

確かにバザールは真っ暗になっており、日中のにぎわいが嘘であるかのようにひっそりと静まり返っていた。
幸いにも、朝方スナックを食ったインド人の経営するレストランはまだやっていて、僕はそこでまたスナックをつまんだ。

食後、薄暗い明かりの中ぽつんと営業していたお菓子屋を見つけ、そこでパンを買い、帰路についた。
バザールから一本路地に入るとそこはもう漆黒の闇だ。1m先も見えはしない。
ヘッドランプを装着し明かりを灯すと、目の前に光り輝く無数の粒子が現れた。それは風に舞い上げられ漂う砂塵だった。

部屋に戻り、ストーブに新しい薪を突っ込み、その燃えゆく様子を見守る。
部屋の外に放置していたキングフィッシャーの蓋を、釘か何かを使って開け、ラッパ飲みをしてみると驚くほど冷たい。
ストーブの前に置かれた椅子でビールを啜りながら、ラダックの静かな夜に聴こうと思ってiPhoneに入れてきたパブロ・カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲をかけ、眠気を催すまで読書に耽った。


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インド、ラダック探訪記 その0: 旅の準備など
インド、ラダック探訪記 その1: 上海
インド、ラダック探訪記 その2: デリー
インド、ラダック探訪記 その3: レー到着
インド、ラダック探訪記 その4: ジュレー
インド、ラダック探訪記 その5: シャンティストゥーパ、レー王宮など

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