スキップしてメイン コンテンツに移動

メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その1

(日記より。一部改変)

会社を辞めた。
最終出社日の21時ころ会社を発ち、恵比寿に髪を切りに行って、帰宅。日付が変わらんとするころ、各所に挨拶のメールを出した。

後輩の子への仕事の引き継ぎ資料にちまちまとしたアップデートを加えてメールし、時計を見たら既に午前4時を過ぎていた。

眠る暇もなくパッキングを開始して家を発つ。目指すは成田。フライトは午前11時台。出発時刻の40分前にチェックインカウンターに到着すると、既に受付は終わっていた。ちょっと油断しすぎたなと反省しながら手荷物検査場へとよたよた走った。

ヒューストンまでのフライトは約12時間。出発の2週間前に抑えたANAの便は快適だった。断続的な浅い眠りを繰り返し、その間に映画を3本見た。

隣に座るオッサンはアジア系、もしくはインディヘナと思しき顔立ち。英語の発音はかなり癖があり聞き取りづらい。左手が不自由なようで、食事の際なども右手だけを動かしていた。

日付変更線を跨ぎ、出発した日時より2時間ほどさかのぼった同日午前9時半ころヒューストンに着く。すぐに空港のWi-Fiを捕まえて友人夫妻に連絡を入れる。彼らも丁度空港に着いた頃のようだった。げんなりするほど時間のかかるイミグレを通過し、1年前と変わらない彼らの姿を見て嬉しさがこみ上げる。

彼らの車に乗り込み、ダウンタウンへと向かう。途中、スーパーマーケットに寄り昼食の食材と酒を買い込む。色とりどりの野菜や肉類、飲料、調味料が大量にしかし整然と陳列された様に美しさを覚える。僕らは、パンと1.9リットルの牛乳、オリーブを4種類、パスタサラダとローストビーフ、ローカルビール2種類を4本ずつ、赤ワインのボトルを1本買った。

やがて、大企業の駐在員家族が住むべき安全で綺麗で大きなマンションに到着すると、彼らの飼う小さな犬が大はしゃぎで飛び出してきた。人懐こい性格のようで、初対面の僕を恐れずにしっぽを振って飛びついてくる。

広く、天井の高い部屋で寛いでいると、シンガポールに住む外国人用のコンドミニアムを思い出した。バスルームの付いた一室をあてがってもらい、家主に薦められるがままシャワーを浴びた。

時刻は午後2時くらいだったと思う。徹夜明けと時差ボケで火照った身体に冷たいローカルビールを流し込む。

彼らにはアメリカでの仕事や生活の話が、僕には赴任先の国での仕事や生活の話、会社を辞めた話が、互いに持ち寄る話としてあって、いくら話しても会話は途切れることがない。

近況報告をしあうことで、久しく会っていなかったが為にぼやけた分の互いの輪郭が徐々にはっきりしていく。そしてそれが、自分のイメージしていた、あるいは馴染みのあるそれと合致する感覚を覚え、僕は改めて嬉しく感じ、ホッとするのだった。

---
メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その1
メキシコ、キューバなど: プロローグ的なものとか、その2
メキシコ、キューバなど: グァナファト

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

パキスタン - その3: カリマバード、ラホール

▲フンザの中心的な集落であるカリマバードをぶらついていた折に出会った地元の子 翌日早朝、再び例のポイントへと向かって見ると、彼の言うとおり水の流れが止まっており、僅かに車1台が通れるほどの隙間が片付けられていて、僕らはやっとカリマバードへたどり着くことが出来たった。 ▲バルティット・フォートとカリマバードの集落 カリマバードはかつてフンザ王国の藩主が住んでいた。未だにその住居であったバルティット・フォートは修繕を繰り返されながらも当時の姿を留めている。この城塞の歴史は(恐らく)15世紀から始まっておりかなり古い。王の住まいとして当時なりに堅牢で豪華に作られたとは言え、このフンザのあまりに厳しい自然環境の中においてはやや頼りなく見えなくもない。イギリス人達がこの地を訪れた時、この王の棲家を見てどう思ったろう。少なくとも、その国力に恐れおののくことは無かったんじゃないかな、と思ってしまう。冬の寒さを凌ぐために、一部屋辺りの面積を制限したんだと思うが、王や王女が踊り子を招き宴を開くのに使ったという部屋は、僕の住む家のリビングと大差ない広さに見えた。窓から見える渓谷と農村の風景はとびきり美しかったのだが。 ▲カリマバードの小道 登山家の故長谷川恒男氏の奥様が建てられたという学校があるという事で、ぶらりと立ち寄ってみた所、中を見学させてもらえた。それは僕らが日本人だからだったのかもしれない。施設はとても立派なもので、蔵書を眺めてみると英語で書かれた書籍が多く、ジャンルも幅広く取り揃えられている。パキスタンの平均的な僻地の学校と比べると大分恵まれているのではなかろうか(他を見たことがあるわけではないけど)。長谷川氏は、カリマバードからもその姿を拝むことが出来るウルタルのⅡ峰で雪崩にあって亡くなったそうだ。滞在中、何度も山の方を見やるのだが、常にガスっていて全体像を把握する事は結局出来なかった。 ▲レディースフィンガー 一方、いつか見てみたいと思っていたレディースフィンガーはしっかりと目に焼き付けることが出来た。この不気味なナイフのような山は、1995年に山野井泰史氏が独自のルートで登攀したそうだが、途中で食料が尽き果て、ラマダンのように痩せ細ってしまったという。冷たい垂壁に何日間も張り付き、岩雪崩に怯えながら空腹を耐え忍び、ジリジリとてっぺ

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。