そしてまた僕らは馬鹿みたいに飲んでいた。
オールドバガンから戻った僕らは、宿で一休みしてその日の晩飯にありつくためにガイドブックを舐めまわし、ビールが飲めてWi-Fiが飛んでいると書かれていた一件の観光客向けのレストランに狙いを定めた。
先輩の人生観もしくは結婚観的な話に耳を傾けつつ、しこたまミャンマービールを煽る。晩飯を兼ねて頼んだツマミはすべて中華風に味付けされた炒め物だった。
ビールに飽きて例のゴールデンなんとかというウイスキーを水と氷で割ってやり始めた頃だったか、隣の卓で同じく酩酊していたミャンマー人の一行に話しかけられた。
3人で飲んでいた彼らのうち一人は圧倒的に綺麗な英語を喋るおっさんで、聞く所によると外交官の子息として日本をはじめ諸外国に何年も住んだことのあるような人らしかった。
彼の政治経済についての考え方は、この東南アジア最貧国ランキングの1、2番目を争う国の片田舎で出会う人間とは思えないほど洗練されており、話の随所に教養の片鱗が見て取れた。また、多くのミャンマー人がそうであるように、彼も親日的な考えの持ち主であるらしく、最近何かと話題に上るお隣の国々に対して悪態をついていた。
当然、彼の興味は、当事者である我々日本人が諸々の国々との関係についてどう考えているのかというところに及ぶ。本当に情けない話だが、僕のあまりに貧しい英語力では自分の考えを1ミリも伝えることができず、せっかく親しげに話題を提供してくれた彼の期待に応えることはできなかった。
せめてものお返しにと、ミャンマー、あるいはビルマの軍政について彼の考えを聞いてみると、彼は素晴らしい英語で淀みなく、朗々と持論を披露してくれた。これから大きく経済発展を遂げるミャンマーにおいて教育の拡充は喫緊の課題であるらしく、それはようやく軍政が収縮した今のミャンマーだからこそ解決可能な課題であるというような話をしていた。気がする。
ベロンベロンに酔っ払った僕らは彼らと別れを告げ、既に日付が変わっているにも関わらず営業を続けていた殊勝な商店に立ち寄り、マンダレービール(恐らくアルコール濃度の高いバージョン)の大瓶とミャンマービールの缶をそれぞれ3本ずつ買い、瓶をラッパ飲みしながら涼しくなった夜道をふらふらと帰った。
宿の戸はもちろん閉ざされていたが、びゃーびゃーと騒ぐ僕らの声を聞きつけ、スタッフが起きて解錠してくれた。
その後は部屋でやはり馬鹿みたいに飲み散らかしたのだが、その辺りの記憶はほぼない。
朝6時頃だったであろうか、例のドライバーが僕らを起こしにきてくれた。そういえば、朝日を見るのに良いスポットまで連れていってくれるよう、前日あらかじめ頼んでおいたのであった。
腹が痛いと訴える先輩を一人宿に残し、僕ともう一人の先輩は半分寝た状態で車に乗り込む。彼の運転するハイエースがでこぼこみちを進む道すがら、巨大な袋状のものに機械で轟々と音を立てて空気を送っているのを見かけた。それは、まさにこれから飛ばんとする気球であった。
やがて彼は、名前がついているかどうかも怪しい、小さな、小さなパゴダまで僕らを連れて行ってくれた。寂れたそのパゴダの周囲は草むらになっていたが、内部に入るとかわいい階段がついていて、僕らは難なくビルの2階ほどの高さまで上ることができた。どうやらそのパゴダは彼にとっての秘密のスポットであるらしかった。
すうっと、大地と空とを隔てる境界線が引かれている。境界線より上がわにぽつぽつと浮かぶのは先程横目に見た気球たちのシルエットであり、遥か宇宙空間から燦然とした光を投げかけてくるのは朝日だった。
ヨタヨタと、眠気まなこであまりに広大な大地を眺む。音を反射するものがないからだろうか、あたりはまたしても怖いほどの静寂に包まれていた。
いくつかの気球のシルエットは、金襴の帯の中を、呑気なスピードで徐々に左から右へと流されていた。
朝日があらゆるものを照らすその様は容赦がない。遠方の山々は、その二次元的な稜線だけでなく、起伏が生み出す立体的な形状でさえ露わにされていたし、森林に姿を隠していたはずのパゴダたちもその居場所を暴かれていた。
オールドバガンが立ち上がる様子を静かに見守っている間、あまりの眠さに僕らは無言だった。あるいは半分眠っていた。
テラスのような形状をしていたその場所の中央には、2階に相当する尖塔が備わっており、その中には大仏が収められていた。尖塔内部に続く入り口部分に腰を下ろすと、日中は火傷を負わすほど熱くなるレンガがまだひんやりと冷えていて、気持ちがよかった。
床に寝転がって空を仰ぐと、そのあまりに蒼茫たる様に吸い込まれる感覚を覚える。良い塩梅である。
物音はしなかったが、ドライバーは階下で僕らのことを待ってくれているはずだった。いつまでも笑顔で雇い主を待ち続けてくれる彼の人の良さに甘え、僕らはその場で少し眠った。
すべての責任を空に投げ捨てた、放埒なバガンの朝だった。