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トルコ - イスタンブールの記録


2018年のGWはトルコにいた。

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▲トラムから眺める夜のスルタンアフメット・ジャーミィ

インチョンを経由してイスタンブールへ。その後、カッパドキアはユルギュップへ滞在し、エーゲ海方面へ向かいベルガマという町でのんびりとした時間を楽しみ、再びイスタンブールに戻って帰るという旅程である。最近なんだかシルクロード周辺の各種文化の変遷に興味津々な自分としては、東の端から西の端まで見て回りたかったが、一応昨今の情勢に配慮して東側に近寄るのは今回は避けたのであった。

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▲金角湾にまたがるガラタ橋とガラタ塔

映画鑑賞に飽きるには十分に長いフライトだったが、それでも思っていたよりずっと早く到着できた初日。チェックインを済ます頃にはすっかり夜も更けてるだろうと想定していたが、この国の夜の帳が下りるスピードの遅さも手伝って、外はまだまだ明るかった。

イスタンブールである。世界で唯一、アジアとヨーロッパを分かつボスポラス海峡に跨る街だ。そして僕はその西側に降り立ち、生まれて初めてヨーロッパの地を踏んでいた。いつの間にか筆おろしが済んでしまい、母なるアジアに別れを告げるヒマも無ければ感慨もない。それでも、金角湾をたゆたうクラゲたち、そしてドッドッドッドッと力強くエンジンを鳴らしながら桟橋に寄せては客を対岸に運んでいく船たち(それはもう頻繁に接岸してはどこかへ消えていく)、そして小高く盛り上がる丘に立つ尖塔を眺めていると、ここは確かにこれまで僕が旅してきた場所とは違うかもしれないと感じていた。ヨーロッパのヨーロッパ的な風情、それが何なのかはよく知らないが、テレビや映画から感じることの多い何かが、気配として確かに存在する。

そのことに気づいた僕は何だか嬉しくなってしまって、ウキウキとした気分でガラタ橋を東側へ渡ろうと試みた。ガイドブックに書いていたとおり2階建ての跳ね橋で、1階にはレストランが並んでいる。2階は車とトラムの為の車道と歩道に使われているのだが、歩道を埋め尽くす釣り人の姿はなかなか見応えがある。柔らかな夕陽を浴びながら、思い思いに釣り針と仕掛けを投げ入れてはあっという間に小さな鯖?か鯵?を釣り上げている。今晩の食卓を彩るのだろうな、或いはこの数だったら、塩や酢で手を加えて保存的な食材とするのかもしれないな、なんて事を思いながら彼らの様子を見守る。皆とても穏やかな表情だ。ある老人はいつもそうしているのだろう、寡黙に釣り竿の先を見守っているし、ある40代と思しき男性は小さな息子とのレクリエーションなのだろうか、きっとこの子の小さなころの想い出として刻まれるんだろうなと思ってしまうような微笑ましい家族のコミュニケーションの場を楽しんでいた。

その日は新市街側にあるイスティクラル通りを冷やかし、有名な居酒屋が密集する通りで少し食事を楽しんでからタクシーを捕まえて宿へ帰ったのだった。

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▲アヤソフィア内部

翌日は早起きし、イスタンブールで代表的な観光スポットであるトプカプ宮殿、アヤソフィア、スルタンアフメットを回るつもりだった。頑張ってベッドから這いずり出てシャワーを浴び、コンチネンタルな上手くも不味くもない朝食を取って目的地に向かう所までは良かったのだが、トプカプ宮殿だと思って入館した施設が同じ敷地内にあるそれと別の博物館で、すっかり予定が狂ってしまった。妙に考古学的な範囲の展示品ばかりだなとか、宮殿的な装いに欠けるなとか感じていたのだが…そこが目的地と違う場所であった事に気づいたのは退館後である。結局宮殿に到着した頃にはゲンナリするくらい長い行列がチケット売り場から伸びており、トルコアイスを齧りながらしばし考えた結果、中に入るのを諦めてアヤソフィアに向かうことにした。(その後、結局アヤソフィアに入るのに30分程度並ぶことになるのだが。とにかくイスタンブールは観光客で溢れかえっている!)

アヤソフィアは、イスタンブールがコンスタンティノープルと呼ばれていた東ローマ帝国の時代、西暦で言うと300年台にキリスト教の大聖堂として作られた。しかし1400年台にこの地がオスマン帝国の支配下に置かれると、たちまちモスクに改修されたそうだ。その際、内部に描かれていたキリスト教的聖人たちのフレスコ画やモザイク画は上から漆喰かなにかでうわ塗られ、ひと目につかないように一切が隠されたらしい。しかし1900年台に入りアメリカかどこかの調査によってその存在が明らかになり、壁を削ってみたら非常に保存状態の良い美しい絵の数々があらわになってみんなびっくり。かのアタテュルク大統領の英断?で博物館に指定され、広く一般人の目にする所となったという運びである。

2000年近い歳月を経てなおそれぞれの彩りや輪郭がはっきりと認識できるフレスコ画の保存状態に驚きつつ、最後は偶像崇拝を禁じるイスラム教のモスクとして存在していたにも関わらず、内部に聖人を描いた絵画の数々がある状況は何だかアンビバレンツな気がして面白い。内部では本当に様々な言語が飛び交っており、色々な国々からやって来た観光客たちはしかし画一的に皆セルフィーに励んでいる。オスマン帝国がこの地に攻め入り制圧した際、軍は3日間の略奪行為を許されたという。その間、人びとは教会に立てこもったが、その甲斐も虚しく門は叩き壊され、この空間では多くの惨殺が繰り広げられたということだ。そんな悲劇と、観光客達の笑顔或いはキメ顔。誰かを責めるつもりも貶めるつもりも毛頭無い(自分だって所詮ワンオブゼムだし)が、そのコントラストはなかなか強烈なものがある。

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▲スルタンアフメット・ジャーミィ

続いて訪れたスルタンアフメット・ジャーミィは、何と改修工事中につき観光客が内部に入ることが出来なかった。内部から見るステンドグラスがとても美しいとの事だったが仕方ない。トプカプ宮殿に続きこの日はツイてない。

気を取り直してメシでも食うかと何やら有名らしい近所のキョフテ(英訳するとミートボールだ)屋を探し当て、昼飯を摂る事にした。そこそこ賑わっている店内のテーブルに案内されやがて運ばれてきたキョフテはうまくも不味くもなく、何ともリアクションに困る味だった。まあ、観光客に有名な大衆料理屋なんてこんなもんかと自分を納得させ店を発ったのだが、後になって知ったのは、探していた有名店はこの店の二軒隣にあり、この店自体は特に有名でもなんでもない店だと言うことだった。こんな日もあるもんなんだろうか、今になっても信じられない運の悪さ?である。

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▲サバサンド

ただ、お目当てのものに全てフラれてしまっているわけでもない。イスタンブールに訪れたら食って帰りたいなと思っていたサバサンドにはちゃんと出会うことが出来た。ガイドブックに書いてあるとおり、ガラタ橋付近の桟橋でぐらぐら揺れる船内で鯖が大量に焼かれ、一帯は焼き魚の臭いで満ちている。陸で焼かず、わざわざ専用の船で焼いては陸でパンに挟んで提供するそのスタイルからは、敢えて伝統を踏襲しているさま(観光客の為にだろうが)が見て取れた。別にこれも無茶苦茶に美味いわけではない。ただ、他の客と肩を寄せ合わせ、併売されているピクルスを時折つまみながらたっぷりのレモン汁をかけたサバサンドを口いっぱいに頬張ばり、それをコーラで流し込むのは体験としてなかなか良いもんだ。少なくともトルコアイスよりは気分が良い。

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▲黄昏時のガラタ塔と新市街

その後、ボスポラス海峡を渡りアジア側にあるカドゥキョイというエリアに渡す船に飛び乗り、骨董品の集まる通りを冷やかし、お茶をしてから再びヨーロッパ側へと戻ってきた。イスタンブールに到着した日にも感じたことだが、この街はなかなか日が暮れない。時刻としては20時近いはずだったが、目の前には優しい黄昏が広がり、淡い潮の香りが漂っていた。

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▲夜のイスティクラル通り付近

その日の夜も再びイスティクラル通りに向かうことにした。酒飲みの嗅覚が、飲むならこのエリアが無難だと教えてくれていたからだ。初日よりも少し立派なお店でビールとトルコの蒸留酒であるラクゥを味わい、2軒目にワインバーに寄り、ほろ酔いでトラムを使って帰投した。(ラクゥはなかなか悪酔いしそうな味がした。ぶどうで作られているらしいが、韓国の焼酎を思い出すようなどこか工業的な風味である。嫌いではないが…)


トルコ - カッパドキアの記録

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