スキップしてメイン コンテンツに移動

トルコ - カッパドキアの記録


イスタンブールからカッパドキアへは飛行機を使った。バスだと12時間の道のりが1時間程度である。本当は移ろいゆく車窓の景色を眺めながらうつらうつらしたかったのだが、サラリーマンに時間は無い。(僕は経済的な自由を得た代わりに精神的な自由を失いつつあるのか…)

IMGP3142.jpg
▲くり抜かれた奇岩

カッパドキアと呼ばれるエリアは広大で、そう呼ばれるエリアには町が3つほど点在している。最も有名なのはギョレメで、バックパッカーから団体旅行客まで幅広く受け入れるキャパシティを持った町である。今回の旅では混雑だとか喧騒だとかからなるべく距離を取りたかったので、ギョレメを避け、比較的静かなユルギュップという町で過ごすことにしたのであった。

IMGP3007.jpg
▲宿泊先の洞窟ホテル

カッパドキアの宿といえば洞窟ホテルである。予約しておいた洞窟ホテルに着くと、オーナーである初老の男性が出迎えてくれた。宿は小洒落た佇まいで、オーナーが集めたと思しきアンティークの調度品がさり気なく飾られていたり、庭にはバラを始めとした花々が植えてあるだけでなく、隅っこに配置されたスピーカーから日中はさり気ない音量でクラシック音楽が流されていたりなどした。この男性は物静かだが、僕の滞在中に手配可能な気球ツアーがないか熱心に調べてくれたり(残念ながらどこの会社のツアーも予約でいっぱいだったが)、ワインを買ってきたのでツマミがほしいとワガママを言えば、自分が食べるものとして作り置いていたであろう料理をおすそ分けしてくれたり(ヴィーガンらしく、全く肉類がなかった)、旅人をもてなすホスピタリティに満ちた人であった。仕事の第一線を退き、余生を楽しみながら送るひとつの手段として、大好きなものを散りばめた秘密の箱庭のようなこのホテルを営んでいるのかもしれない、そんなストーリーをイメージせずにはいられなかった。

IMGP3070.jpg
▲初期キリスト教徒たちの住処

IMGP3093.jpg
▲奇岩群

IMGP3116.jpg
▲フレスコ画

宿についた翌朝、だだっ広いこの観光地を効率的に見て回るため、タクシーをチャーターした。溶岩と火山灰がミルフィーユのように積み上がって出来た地層を風雨が削り、硬い部分だけを残して出来上がった奇岩群は確かに面白い。だがそれよりも興味深いのは、その奇岩群をくり抜いて作られた住処や教会、その中に書かれた壁画である。古くは4世紀頃からこのカッパドキアには、キリスト教徒が住んでいて、彼らはイスラム教徒などに追われこの地にたどり着き、ひっそりと信仰を守り続けていたようだ。フレスコ画は保存状態が良いものも多く、眺めていてなかなか飽きなかった。

IMGP3155.jpg
▲奇岩群に溶け込む町並み

IMGP3147.jpg
▲カッパドキアの大地

一日かけてこの大地を見て回り、最後にワイナリーを訪れて何本かワインを買った。どこかの売店で買った干しフルーツと、宿のオーナーにおすそ分けしてもらった夕食をテラスのテーブルに並べる。それらをパクつきながら、無音で夜を迎えようとする空をぼーっと眺めて飲むワインは悪くなかった。


トルコ - イスタンブールの記録

コメント

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

パキスタン - その3: カリマバード、ラホール

▲フンザの中心的な集落であるカリマバードをぶらついていた折に出会った地元の子 翌日早朝、再び例のポイントへと向かって見ると、彼の言うとおり水の流れが止まっており、僅かに車1台が通れるほどの隙間が片付けられていて、僕らはやっとカリマバードへたどり着くことが出来たった。 ▲バルティット・フォートとカリマバードの集落 カリマバードはかつてフンザ王国の藩主が住んでいた。未だにその住居であったバルティット・フォートは修繕を繰り返されながらも当時の姿を留めている。この城塞の歴史は(恐らく)15世紀から始まっておりかなり古い。王の住まいとして当時なりに堅牢で豪華に作られたとは言え、このフンザのあまりに厳しい自然環境の中においてはやや頼りなく見えなくもない。イギリス人達がこの地を訪れた時、この王の棲家を見てどう思ったろう。少なくとも、その国力に恐れおののくことは無かったんじゃないかな、と思ってしまう。冬の寒さを凌ぐために、一部屋辺りの面積を制限したんだと思うが、王や王女が踊り子を招き宴を開くのに使ったという部屋は、僕の住む家のリビングと大差ない広さに見えた。窓から見える渓谷と農村の風景はとびきり美しかったのだが。 ▲カリマバードの小道 登山家の故長谷川恒男氏の奥様が建てられたという学校があるという事で、ぶらりと立ち寄ってみた所、中を見学させてもらえた。それは僕らが日本人だからだったのかもしれない。施設はとても立派なもので、蔵書を眺めてみると英語で書かれた書籍が多く、ジャンルも幅広く取り揃えられている。パキスタンの平均的な僻地の学校と比べると大分恵まれているのではなかろうか(他を見たことがあるわけではないけど)。長谷川氏は、カリマバードからもその姿を拝むことが出来るウルタルのⅡ峰で雪崩にあって亡くなったそうだ。滞在中、何度も山の方を見やるのだが、常にガスっていて全体像を把握する事は結局出来なかった。 ▲レディースフィンガー 一方、いつか見てみたいと思っていたレディースフィンガーはしっかりと目に焼き付けることが出来た。この不気味なナイフのような山は、1995年に山野井泰史氏が独自のルートで登攀したそうだが、途中で食料が尽き果て、ラマダンのように痩せ細ってしまったという。冷たい垂壁に何日間も張り付き、岩雪崩に怯えながら空腹を耐え忍び、ジリジリとてっぺ

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。