2013年末、少し早めに休みを取った僕は外灘(バンド)に辿り着いた。
東京を発って上海に到着した時は既に夜だった。デリーに向かうため上海で一泊する必要があったのだが、上海についての予備知識は殆どなかった。とりあえずバンド付近に青年旅舎があるという情報を得て、高いタクシー代にため息をつきながらここまで来たのだ。
タクシーから眺める上海の夜景はとにかくきらびやかで、東京やシンガポールのそれを凌駕するほどワクワクする光景だったのを覚えている。
目当ての旅舎に無事到着したは良いものの、生憎スィートルーム的な位置づけの部屋以外は全て満室だった。宿代は貧乏旅行者には非常に高く、苦い思いをしたが、これも今の上海相応の値段なのだろうとぐっと堪えた。それに、この旅舎を諦めた所でどこかアテがあるわけでもなかった。
やたらと広い部屋にとりあえずバックパックを放り投げた。ひどく寒い。
四方を見渡すと、頼りない小さなエアコンがひとつ取り付けられている。ひとまず適当に高い温度に設定し、そのままカメラと財布だけ持って外に繰り出した。
外灘付近は観光客でごった返していた。対岸の高層ビル群は少し霞んで見えたが、みんなPM.2.5なんてお構いなしだ。
マスクをつけて歩いているのは日本人だけだった。
通りを歩いていると、幾度と無くクレジットカードサイズの小さなチラシを持ったおばさんたちに近寄られ、風俗のキャッチセールスを受ける。
彼女達は、雑踏の中から的確に、男性日本人観光客だけを見つけては日本語で声をかけていた。デカイ一眼をぶら下げ、特段おしゃれをするわけでもなく、場違いな登山向けの様相でひとり歩いている自分は格好の的だったのかもしれない。なんとも居心地が悪かった。
これと言って面白くも無い街なかをぶらつきながら、ひとりでも入れそうな安食堂を探した。
結局宿の近くの閉店間近(スタッフが片付けを始めるところだった)の食堂を見つけ、持ちうる数少ない中国語のボキャブラリーを駆使してルースーとビールを頼み、一息ついた。しかし、この国では廃油が食用に多く使われていて、それは上海の街なかの食堂でも例外ではないとかいう話をふと思い出し、目の前の湯気を立てたルースーを見て食欲が失せたのだった。
部屋に帰るとやはり気温は依然あたたかいとはいえなかった。もう少し待とうと思い、最上階のバーで酒を引っ掛けた。
周囲は友人同士の客ばかりで、ひとり酒をあおっているのは自分だけだった。たいそう居心地が悪い。
2,3杯で切り上げ、少しだけあたたまった部屋で煙草を吸い、窓から見えるビル群を一瞥して布団にくるまったのだった。
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インド、ラダック探訪記 その0: 旅の準備など
インド、ラダック探訪記 その1: 上海
インド、ラダック探訪記 その2: デリー
インド、ラダック探訪記 その3: レー到着
インド、ラダック探訪記 その4: ジュレー
インド、ラダック探訪記 その5: シャンティストゥーパ、レー王宮など