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インド、ラダック探訪記 その3: レー到着

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脈々と連なる山々が朝日に映える様が、機内の窓から確認出来た。ラダッキと思しき顔立ちの人々、インド人たち、そして袈裟を纏った仏僧たち。彼らの中に紛れてわずかばかり搭乗していた外国人旅行客は、僕も含め皆息を呑んだ。山々の起伏は勿論の事、その表面を覆う雪の結晶が放つ光のスペクトルすら粒さに見て取れるのではと錯覚してしまう。すれすれの所を飛んでいるような気がする。レーが近づくと、飛行機は旋回を繰り返した。

この日の早朝、僕は悪天候によるキャンセルがしょっちゅう起こるというフライトに乗るべく、予約していたタクシーで空港に向かい、搭乗ゲート前で時間を潰していた。

まどろみながら本を読んでいると、後ろから突然日本語が聞こえてきた。盗み聞きするつもりはないが嫌でも耳に入ってくるその会話内容から推測するに、声の主は決して旅行客ではない。果たしてこの季節にラダックに向かう旅行客以外の日本人がいるだろうかと驚いたが、会話の主がお子さんを連れている事でやがて察しがついた。ラダックの男性と結婚し、ラダックで旅行会社業を営まれている著名な女性だったのだ。(僕は以前からその方のブログを愛読していたので、図らずも気づいてしまった)

声こそかけなかったもののこの一方的な出会いに少しばかり感激し目が覚めた頃に、ちょうどボーディングゲートが開いた。無事、フライトは予定通り運行されるらしい。

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デリーからレーへのフライトは1時間と少しだったと記憶している。
タラップを降りると辺りは曇っていて遠くの景色まで見えなかったが、自分が山間にいることだけはわかった。ひどく寒い。そして、確かに空気が薄い。


いそいそと空港の施設内に駆けこむも、屋内も寒かった。適当に運ばれてきたバックパックを確保した後、その辺にたむろしていたミニバンタクシーを捕まえ、旧市街まで向かった。あまりにも薄着の僕を見て、ドライバーは我が事のように悲鳴を上げたのだった。

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この季節に営業している宿は数少ない。
レーで最も歴史の古いゲストハウスが旧市街の一角にあり、冬季でも頼めば泊めてくれるという噂を知っていた僕は、その親切な宿を目指した。

時刻は朝8時くらいだっただろうか。木製のドアを開き、人を呼んでみると老齢の主人が現れた。やはり今は営業期間ではないが、泊めてやらんことも無いという。ストーブの有無で一泊辺りの値段が大幅に変わるようだったが、迷わずストーブ有りを選んだ。(ストーブ無しはまず死ぬと思われた)

木造3階建ての家屋の2階の部屋があてがわれた。部屋の中も外と同様に凍えるほど寒い。
使用人として雇われていると思しきラダッキの若者が現れ、慣れた手つきで薪をくべ、ストーブに火を灯した。

煌々と薪が燃える様に思わずうっとりする。
主人はいつの間にかストーブの椅子に腰掛け、しばらく無言で揺れる炎を見つめていた。パチリ、パチリ、という薪が燃える音以外は何も聞こえない。寒く、静かな朝だった。

やがて彼はこのゲストハウスとレーのお作法を教えてくれた。水道は使えない事、追加の薪が欲しければ先ほどの若者を呼べば良いこと、バスの運行スケジュールはわからないということ、遠くの村には一切の宿泊施設が無い可能性があること、高地にうまく順応する為にまず少し眠ったほうが良いこと、などなど。年老いた主人の顔に刻まれた無数の皺のが、不思議な安心感を与えてくれる。

やがて主人が出ていった後用を足しにトイレに向かうと、便器には氷が張っていた。

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ひと通りの防寒対策を済ませ、外に出てみると微かに雪が降っていた。
まだ朝方ということもあってか、街は静かだ。

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メインバザールに出てみると、インド人らしき店員たちが働く軽食屋があった。
メニューの中から適当にチョイスし、出てきたのはもさもさとしたスナックで、ミントチャツネをつけて食べるとまあまあイケる。

店内には暖房なんてものはなく、やたらめったら寒かったので、震えながらチャイを飲んだ。その間、スタッフのひとりはこの時期に来た東洋人の仕草ひとつひとつを物珍しげに凝視していた。

その日一日何をしようかしばらく考えたが、高地順応の為にむやみに身体を動かさず、静かに過ごそうと決めた。急な勾配でなくても、少し歩いただけですぐに息が切れる。頭痛もする。僕は軽い高山病にかかったようだった。宿の主人の言うとおり、大人しく眠っていたほうがあるいは良かったかもしれない。

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メインバザールから少し路地を入ったところに、パン屋が並んでいる通りがあった。このようなパン屋はイスラム教徒により営まれている事が多いという。

匂いに誘われそのうちの一軒に入ってひとつ食べてみると、焼きたてだという事もあってかかなり美味かった。インドでこんなに美味いパンにありつけたのは初めてだったかもしれない。薄暗い4畳程度の店内は、チャイを沸かす火のお陰で少し寒さが和らいでおり、居心地も良かった。

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やがて日が高く登り始めた頃、曇っていた空は晴れ始め、街はにわかに活気づいてきた。
意識的にゆっくりと歩いても息が切れる。僕はしばしば街角で何をするでもなく佇み、こまめに休憩を取って歩いたのだった。

メインバザールの突き当りには、街なかでひときわ大きな建物がある。それはモスクだった。その後方にそびえるのが旧レー王宮だ。

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メインバザールから脇に入った所にある寺院には多くの人々が参拝に訪れ、静かにマニ車を回して歩いていた。

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そこからはレー王宮がよく見えた。そしてその右奥にあるナムギャル・ツォモ山頂にあるナムギャル・ツォモ・ゴンパも。
鮮やかなタルチョが、荒涼とした背景によく映える。

寺院を訪れた人々を眺めていたり、彼らを真似てマニ車を回したりしていると時刻は昼頃になり、少し暖かさを感じられるようになってきた。レーに到着した頃に薄く積もっていた雪は既に溶けていた。

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インド、ラダック探訪記 その0: 旅の準備など
インド、ラダック探訪記 その1: 上海
インド、ラダック探訪記 その2: デリー
インド、ラダック探訪記 その3: レー到着
インド、ラダック探訪記 その4: ジュレー
インド、ラダック探訪記 その5: シャンティストゥーパ、レー王宮など

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