スキップしてメイン コンテンツに移動

インド、ラダック探訪記 その2: デリー

IMGP1659

上海を発ったその日の夜、僕は、機内で知り合った医学部生のバックパッカーふたりと久しぶりのインド料理にありついていた。場所はデリーのメインバザール中心、ひとりだったら入らないであろう少し綺麗なベジレストランだった。

IMGP1660

インドに来るのはこの旅で3回目だったが、デリーに降り立ったのは初めてだった。
学生の頃に買った地球の歩き方には書いていなかったが、空港からメインバザール前のニューデリー駅まで地下鉄が通っているようだ。一昔前だったら数多くの旅行者が悪徳旅行会社その他有象無象の餌食になっていたであろう件の区間が、驚くほど安全で快適で、一方で味気ないインフラによって簡単に飛び越えられた。

メトロの駅を出ると目の前にニューデリー駅があり、その向こう側がメインバザールとなっている。つまりメインバザールに出るにはニューデリー駅を越える必要があるのだが、陸橋に繋がる線路脇の階段を登れば問題ない。(駅の構内に入る必要も無かった)

駅の構内や周辺では、けたたましい音楽と共に何かのアナウンスが延々と繰り返されていた。

IMGP1661

メインバザールの入り口に相当する辺りには悪名高いインチキ旅行会社と思しき事務所が軒を連ねていて、それを見つけて少しうれしい気持ちになった事を覚えている。ここに来てやっと、日本人旅行者にとってのデリーの典型的なイメージを目にした気になったからかもしれない。何はともあれ、薄暗い通りと雑踏、そして埃っぽく焦げ臭い空気を前にして悪い気はしなかった。久しぶりのインドに、上手く接続できそうな気がした。

IMGP1670

メインバザールまで僕を運んだメトロの車両内には、医学部生たちの他にも何人かの日本人バックパッカーがいた。学生風の人から40歳は越えているであろうと思しきおじさんまで様相は様々だったが、皆各々細い路地に吸い込まれていった。

IMGP1687

僕はその医学部生ふたりと妙に気があった。実習でなかなか忙しかろう年次だったが、しばしば短い休みを上手く使って海外を旅しているという。ビールを飲みたいという僕の発言に快く応じたのも嬉しかったし、何より彼らの口から出る冗談はとても知的で面白かった。この日の翌日、彼らはジャイプール方面に列車で向かう予定らしかった。

僕らは同じゲストハウスに荷をおろし、料理の旨い店を宿のスタッフに尋ねた。残念ながらそこにはビールがないようだったので、その男にビールを買っておいてもらうよう頼み、僕らはカメラを持って外に繰り出したのだった。

IMGP1694

ベジレストランの料理は確かに美味かったが、強く記憶に残るほどのものでも無かった。
12月の暮れも近いデリーの寒空の下に出た僕らは、腹ごなしもかねてしばらく通りをそぞろ歩き、なんとなく目に止まったものを写真に撮った。湯気を立てた暖かく美味そうなチャイが売られているのを見て、医学部生のふたりは声を上げた。

IMGP1702

宿に戻ると、適当な数のキングフィッシャーをスタッフの男が調達してくれていた。
値段を聞いたがさほどぼったくっている額ではない。僕らは快く言い値を支払った。

しばらく、男の部屋でダベりながら僕らはビールを煽った。
僕の行き先を告げると、彼は少し苦い顔をした。理由を尋ねると、以前付き合っていた女性がラダックの女性だったという。彼女と共に過ごすために遥々ラダックまで赴き、現地の仕事を探しまでしていたようだったが、そんな彼の熱意にも関わらずフラれてしまったとの事だった。(どういう経緯で知り合ったのかまでは聞かなかった)

その男は元々ラダックに縁もゆかりも無いらしい。このインドで出自的にも地理的にも大きな距離を隔てた自由な恋愛が本当に起こりうるのか、少し訝しく感じる部分もあったが、男の顔を見ているとどうも嘘にも見えない。とりあえずなんとなく慰めておいたのであった。

そうこうしているうちにあっという間に夜は更け、僕は医学部生らと連絡先を交換して部屋に向かった。
壁一面をペンキでべっとり白く塗りたくられた狭い部屋のベッドに腰掛け、何を考えるでもなくしばらく煙草を吸っていた。少し寒かったが、眠れない程ではなかった。明日は5時には宿を出なければいけない。移動の疲れも溜まっていたのだろうか、横になるとすぐに眠りについた。


======
インド、ラダック探訪記 その0: 旅の準備など
インド、ラダック探訪記 その1: 上海
インド、ラダック探訪記 その2: デリー
インド、ラダック探訪記 その3: レー到着
インド、ラダック探訪記 その4: ジュレー
インド、ラダック探訪記 その5: シャンティストゥーパ、レー王宮など

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

ミャンマー(その13) - アイ・ダブ・フィシュ

そしてまた僕らは馬鹿みたいに飲んでいた。 オールドバガンから戻った僕らは、宿で一休みしてその日の晩飯にありつくためにガイドブックを舐めまわし、ビールが飲めてWi-Fiが飛んでいると書かれていた一件の観光客向けのレストランに狙いを定めた。 先輩の人生観もしくは結婚観的な話に耳を傾けつつ、しこたまミャンマービールを煽る。晩飯を兼ねて頼んだツマミはすべて中華風に味付けされた炒め物だった。 ビールに飽きて例のゴールデンなんとかというウイスキーを水と氷で割ってやり始めた頃だったか、隣の卓で同じく酩酊していたミャンマー人の一行に話しかけられた。 3人で飲んでいた彼らのうち一人は圧倒的に綺麗な英語を喋るおっさんで、聞く所によると外交官の子息として日本をはじめ諸外国に何年も住んだことのあるような人らしかった。 彼の政治経済についての考え方は、この東南アジア最貧国ランキングの1、2番目を争う国の片田舎で出会う人間とは思えないほど洗練されており、話の随所に教養の片鱗が見て取れた。また、多くのミャンマー人がそうであるように、彼も親日的な考えの持ち主であるらしく、最近何かと話題に上るお隣の国々に対して悪態をついていた。 当然、彼の興味は、当事者である我々日本人が諸々の国々との関係についてどう考えているのかというところに及ぶ。本当に情けない話だが、僕のあまりに貧しい英語力では自分の考えを1ミリも伝えることができず、せっかく親しげに話題を提供してくれた彼の期待に応えることはできなかった。 せめてものお返しにと、ミャンマー、あるいはビルマの軍政について彼の考えを聞いてみると、彼は素晴らしい英語で淀みなく、朗々と持論を披露してくれた。これから大きく経済発展を遂げるミャンマーにおいて教育の拡充は喫緊の課題であるらしく、それはようやく軍政が収縮した今のミャンマーだからこそ解決可能な課題であるというような話をしていた。気がする。 ベロンベロンに酔っ払った僕らは彼らと別れを告げ、既に日付が変わっているにも関わらず営業を続けていた殊勝な商店に立ち寄り、マンダレービール(恐らくアルコール濃度の高いバージョン)の大瓶とミャンマービールの缶をそれぞれ3本ずつ買い、瓶をラッパ飲みしながら涼しくなった夜道をふらふらと帰った。 宿の戸はもちろん閉ざされていたが、びゃーびゃー...

メキシコ、キューバなど: グァナファト

「ここがメルカド・ヒダルゴだよ、アミーゴ」 気の良い運転手に言われ、僕はいそいそとタクシーからバックパックを引きずり下ろした。メキシコ、グァナファト。テキサスに比べると風は幾分乾いており、期待していた通りの青々とした空が心地よい。 初めて訪れる町ではなるべく旅慣れたフリをする癖が染み付いているのかもしれない。特に客引きに囲まれるわけでもないのに、僕はタクシーを降りてまずベンチに腰掛け、煙草をふかし、悠々とした素振りで辺りを見回した。 グァナファトの町は綺麗だった。路傍の各所にゴミ箱が設置され、コロニアル調の景観を壊すことの無いよう、ファーストフード店やコンビニの外壁は勿論、それらブランドロゴのカラーリングにもアレンジが加えられている。ユネスコの世界遺産登録がなされたのが1988年だそうだ。管理の行き届いた景観からは、この国がそれなりにグァナファトに観光地として期待を寄せている様が見て取れる。過度に演出された感、言い換えると多少の嘘い趣は漂うものの、メキシコの足慣らしと思えば悪くない。僕はすぐにこの町を気に入った。 銀の産出で注目を浴びたこの街はよっぽど無秩序に発展したのか、道はかなり入り組んでいる。普段は方向感覚に自信のある僕も目当ての安宿にたどり着くまでに何度も地図を見返す羽目になり、なかなか辟易した。おまけに、足元では暗くヌメッとした無数の地下道が複雑に走り回っていているのだからさながら立体的な迷路である。 やっとの思いで辿り着いた安宿はその名を「ディエゴ・リベラ」といった。あまりに安直な命名センスだが、3階建ての建物の中央に開放的な吹き抜けがあり、廊下の各所に溢れんばかりに設置された観葉植物に明るい日差しの当たる気持ちの良い宿だ。おまけに英語は通じないものの宿のスタッフの愛想も良く、僕はすぐにそこに投宿することに決めたのであった。 バックパックをベッドに放り投げ、見どころとされているフアレス通りへと繰り出す。目に飛び込んでくる建物たちはどれも重厚でありながら、壁は原色でカラフルにペンキ塗りされていて、2階の窓縁や路上の花壇の鮮やかな彩りも相まってとても華やかだ。気を良くして散歩をしていると、サンディエゴ教会前のラウニオン公園にたどり着いた。公園の中心では子どもたちがキャッキャとサッカーをして遊んでいる。 この日の予定といえ...