スキップしてメイン コンテンツに移動

マレー半島を北上せよ − その2:シンガポール

IMGP9044

2012年の仕事納めの翌日。僕は成田にいた。
年末年始の休暇はマレー鉄道を北上する旅に当てるようと決めてからというもの、PCのモニターの前で唸りに唸って大まかな旅程を組み、それに合わせて飛行機と電車のチケットを手配したのだった。

ミャンマーを共に旅した先輩の一人がまた同行してくれることとなっている。彼より1日はやく冬休みに入る僕は、ひとり始発駅のあるシンガポールへと向かい、彼は遅れてクアラルンプール目掛けて飛んで、そこで落ち合う手はずになっていた。

無事仕事を納める事ができた安堵感も相まって、大変気分の良い旅行初日の朝だった。僕は空港でビールを煽りつつ、ゆっくりと搭乗ゲートへ向かった。

IMGP9082

シンガポールに着いた頃にはすっかり夜になってしまっていた。この日の成田発チャンギ行きのスクート便は3時間ほどディレイしてしまったのだ。

ろくに観光もできない時間帯だったが、せっかくなのでマリーナ・ベイを歩いて回る。
ホテルを始めとした様々な高層建築物が煌々と明かりを発し、人気の少ない湾内でその存在を主張し続けていた。静かな夜だった。

IMGP9152

IMGP9092
翌日は、マリーナ・ベイ・サンズホテルの屋上にある、インフィニティプールへと向かった。

三棟並んだホテルの屋上を橋渡しするように横たわった舟状の構造物は、プールとレストラン、そしてクラブを兼ねている。バブリーというか悪趣味というか、日本人の感覚だととてもこんなもんは作らんだろうという建築である。

プールからは、世界有数の金融街であるシェントンウェイを眺めることができる。

僕は水着に着替え、多くの他の客がそうするのと同じようにプールの淵まで泳いで行っては、シェントンウェイを眺めてみた。

この日は休日だったからか、巨大なビル街はじっと静かに佇んでいた。今自分が見下ろしているエリアで下される決断や行われる取引によって、世界の経済がどれほど影響を受けるんだろう、ふとどうしようもない考えが頭をよぎって、僕はため息をついた。

ひと通りプールに浮かぶことを楽しんだ僕は、プールサイドでタオルにくるまった。プラスチック製のチェアに横たわる人々の間を縫って、制服を着たボーイがせわしなく歩き回っている。

そのうちのひとりを呼び止め、フレンチフライとビールを頼んでしばらく寛いだのだった。

IMGP9124

IMGP9141

シェントンウェイの反対側を眺めると海が見える。

大きな豪華客船や、色とりどりのコンテナ、そして更に遠方の洋上に浮かぶ何隻ものタンカーと、石油か天然ガス辺かの貯蔵基地。特にコンテナとタンカーの量は、まず東京でお目にかかる事はなさそうなスケールだ。狭いマラッカの海を越えて行き来する船がどれだけ多いことか、そしてその出入口となるシンガポール港がどれだけ重要なのだろうか、またしてもどうしようもない考えが頭をよぎり、僕はため息をついた。(ちなみに、シンガポール港はコンテナ取扱量で世界1位2位を競うほど優秀な貿易港らしい)

IMGP9133

他方を眺めると、多数のコンドミニアムが見える。日本の都心と比較するとより高層の住宅が多く、また、緑地が目立つ。
大半の部屋が賃貸を前提して提供されているが、これらを外国人が購入しようとすると1億円以上する事がザラらしい。

IMGP9173

夕方には、マリーナベイのすぐ近くにあるチャイナタウンへと足を伸ばした。

IMGP9198

シンガポールにはホーカーと呼ばれる屋台街が数多く存在する。ホーカーには中華料理やインド料理、マレー料理からイスラム料理まで、様々な料理を扱う店がところ狭しと集まり、シンガポールが移民の国である事を思い出すことができる。この安価な値段で胃袋を満たすことができる素晴らしい屋台達は、元々は屋外でそれぞれ営業活動をしてのだが、衛生面を配慮した政府によりこのような屋内に集合する形態を取ることになったらしい。

僕は適当な中華料理を扱う屋台で軽食をつまみ、ビールを啜った。

IMGP9199

IMGP9211

その後、地下鉄に乗ってインド人街へと向かった。特に何か目的があったわけではないが、なんとなくシンガポールで暮らすインド人達の生活を覗いてみたくなったのだ。

たどり着いたインド人街では、思っていたよりずっと整然としていた。もっと雑多でやかましい場所を期待していた僕は少し物足りない印象を覚えたが、一方で道端の小さな商店が扱う品々はインドで目にした事のあるようなものが多く、どこか懐かしくホッとする光景だった。

IMGP9214

翌日にはいよいよマレー鉄道に乗り込むことになっている。寝台列車で飲む酒を買っておこうと思い立ち、小さな酒屋に入ってインド産の怪しいウイスキーの小瓶を買った。にこやかに話しかけきた店主がツマミとプラスチックコップをサービスで付けてくれたのだった。





===========================
マレー鉄道旅行記

マレー半島を北上せよ − その1:旅の準備など
マレー半島を北上せよ − その2:シンガポール
マレー半島を北上せよ − その3:クアラルンプール
マレー半島を北上せよ − その4:クアラルンプールからパダンプサールへ
マレー半島を北上せよ − その5:ハートヤイ(ハチャイ)
マレー半島を北上せよ − その6:スラタニ
マレー半島を北上せよ − その7:パンガン
マレー半島を北上せよ − その8:バンコク1
マレー半島を北上せよ − その9:バンコク2

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

パキスタン - その3: カリマバード、ラホール

▲フンザの中心的な集落であるカリマバードをぶらついていた折に出会った地元の子 翌日早朝、再び例のポイントへと向かって見ると、彼の言うとおり水の流れが止まっており、僅かに車1台が通れるほどの隙間が片付けられていて、僕らはやっとカリマバードへたどり着くことが出来たった。 ▲バルティット・フォートとカリマバードの集落 カリマバードはかつてフンザ王国の藩主が住んでいた。未だにその住居であったバルティット・フォートは修繕を繰り返されながらも当時の姿を留めている。この城塞の歴史は(恐らく)15世紀から始まっておりかなり古い。王の住まいとして当時なりに堅牢で豪華に作られたとは言え、このフンザのあまりに厳しい自然環境の中においてはやや頼りなく見えなくもない。イギリス人達がこの地を訪れた時、この王の棲家を見てどう思ったろう。少なくとも、その国力に恐れおののくことは無かったんじゃないかな、と思ってしまう。冬の寒さを凌ぐために、一部屋辺りの面積を制限したんだと思うが、王や王女が踊り子を招き宴を開くのに使ったという部屋は、僕の住む家のリビングと大差ない広さに見えた。窓から見える渓谷と農村の風景はとびきり美しかったのだが。 ▲カリマバードの小道 登山家の故長谷川恒男氏の奥様が建てられたという学校があるという事で、ぶらりと立ち寄ってみた所、中を見学させてもらえた。それは僕らが日本人だからだったのかもしれない。施設はとても立派なもので、蔵書を眺めてみると英語で書かれた書籍が多く、ジャンルも幅広く取り揃えられている。パキスタンの平均的な僻地の学校と比べると大分恵まれているのではなかろうか(他を見たことがあるわけではないけど)。長谷川氏は、カリマバードからもその姿を拝むことが出来るウルタルのⅡ峰で雪崩にあって亡くなったそうだ。滞在中、何度も山の方を見やるのだが、常にガスっていて全体像を把握する事は結局出来なかった。 ▲レディースフィンガー 一方、いつか見てみたいと思っていたレディースフィンガーはしっかりと目に焼き付けることが出来た。この不気味なナイフのような山は、1995年に山野井泰史氏が独自のルートで登攀したそうだが、途中で食料が尽き果て、ラマダンのように痩せ細ってしまったという。冷たい垂壁に何日間も張り付き、岩雪崩に怯えながら空腹を耐え忍び、ジリジリとてっぺ

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。