その後、僕らは遺跡を巡り続けた。
11世紀から13世紀まで都として栄えていた当時、バガンには今よりもっと多くの仏教建築物があったのだろう。バガン朝を滅ぼしたモンゴル人たちは、集落からの略奪はせどこれら建築物の破壊はしなかったのだろうか。
当時のモンゴル人たちがチベット仏教を信仰していたのだとしたら、宗旨は違えど同じ仏教のシンボルを壊すことに抵抗があったのかもしれないが、そのあたりは知識不足でよくわからない。
このマハーボディー・パヤーはバガンでも珍しいインド風の様式のパヤー(パゴダ)とのことだった。言われてみると確かに、どこかで見たことのある形である気がしないでもない。僕は、南インドのトリヴァンドラムを訪れた際に見に行ったパドマナーバスワーミ寺院を思い出していた。
「かわいい」と先輩が褒めたよくわからない像は、建てられた意図も何をモチーフにしているのかも一切わからなかった。かわいくないことだけは確かだった。
エーヤワディー川の岸に立つ修復中の球根型のパゴダの下で、僕らはひとりの日本人と出会った。
話を聞くと、彼女は就活前のモラトリアム期間を謳歌すべく、夏の終わりから一人で旅をしている大学生とのことであった。日本からヤンゴンに飛び、そこからバガンまで来たところだという。音もなく流れるエーヤワディー川を夕暮れ時にひとりでぼんやり眺めて過ごすだなんて、なんと正しい学生の姿だろうか。彼女はこれからエーヤワディー川を船で10時間ほどかけて上り、マンダレーへ向かうらしい。
西日の反射するエーヤワディー川を背景に僕らは記念写真を撮った。連絡先も名前も聞いていないので、彼女がこの写真を手にすることは恐らくないのだろうなあなどと思いながら別れを告げた。
西日はいよいよその傾きを増し、日没が近いことを僕らに教えてくれた。ドライバーはその日の締めくくりにと、夕日を見るのにピッタリのパゴダまで連れていってくれた。
僕らと同じように、一日の終りにとっておきの贅沢をしようと多くの外国人がそのパゴダに向かっている。広々としたオールドバガンの四方八方から、ある者は自転車で、ある者は馬車で、またあるものは車でひとつのパゴダへ急ぐ。土埃を舞い上げて進む彼らや僕らの姿はどこか必死で、滑稽でおかしかった。
いつの間にか涼しさを感じるほど気温が下がっている。早朝から大騒ぎしていたこともあり、さすがにこの時間帯になると少し疲れが出ていたのかもしれない。車内は幾分静かになっていた。ドライバーだけは相変わらずニコニコ顔でゴキゲンな様子だった。
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ミャンマー旅行記
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