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ミャンマー(その10) - 100ミリちょっとの

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パゴダの中には大抵仏像が安置されている。それぞれのブッタは微妙に表情を変えていたが、どれも凛々しくもなければ穏やかでもない。そのひとつひとつを僕らは「ほー」だの「へー」だの言いながら眺めて回った。

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いくつのパゴダを回ったのか定かでないが、とにかく数えきれない仏塔を見てはその度に感嘆し、時折、カラカラに乾いた喉を水やジュースで潤した。

先輩の飲んでいたレッドブルは甘ったるく、炭酸が抜けていた。あるいは炭酸など最初から入っていなかったのかもしれない。

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そうして僕らは、尖塔を鱗のように装飾されたバガンで最も有名であろうアーナンダ寺院へとたどり着いた。

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寺院の東西南北の四方にはそれぞれ高さ10m程度の4体の仏像が安置されている。恐らくバガンで最も美しく装飾されているであろうブッダの像は、やはり不可解な表情を浮かべていた。

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これらの像に向かい、幾人かのミャンマー人が跪く姿が見えた。このパゴダも、外国人観光客にとっては単なる観光の対象の遺跡でしかない一方、現地の人々にとってはいまだに静かに祈りを捧げる現役の寺院なのであった。

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あまりに多くの人々が金箔を塗りたくるので、その表情が原型を留めていないブッダもいる。

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ひと通り寺院の中を見学した後、僕らは誰ともなしに外に広がるテラスのような場所に向かった。日のあたっている石畳は相変わらず焼けるように熱いが、木陰になっている場所はひんやりと冷たくて気持ちが良い。

木の下に寝転がり、空を仰ぐ。枝々の間から覗く空はアホかと思うほど青かった。ふと、この痛快な面々がひょんな事からこんな辺鄙な地で一同に会している事実が面白くてしかたなくなって、堪らず笑ってしまった。なんと素敵な休日だろう。

しばらくその場で、思い思いの格好でごろごろしていた僕らは、また誰ともなしに空腹を訴えるようになった。

そういえばパゴダの外ではドライバーを待たせている。本人の考えているであろう観光スケジュールなどお構いなしに好き勝手やっている日本人の帰りが遅いことに、彼はさぞやきもきしているであろう。少し申し訳ない気持ちがした僕らは、やや急ぎ足で彼の待つハイエースに戻ったが、彼はまったく気にしていない様子で、出会った時と同じニコニコ顔を湛えていた。

思い切って彼に腹が減っている旨を伝えると、彼はミャンマー料理の食える飯屋に連れていってくれた。

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連れて行かれたレストランではおかずとコメが際限なく運ばれてきた。バカ舌で特段味に拘りのない僕はすべて美味しく食うことができるのだが、先輩らを見ると何やら苦い顔をしている。どうやら発酵した野菜が突っ込まれていると思われる、据えた匂いのするスープがどうしても食えないらしかった。一方、ヒンや、中華風に味付けされた炒め物は多くの日本人が食えるはずの味で、彼らも美味そうに食っていた。

夜になると味や匂いなんて関係なく手当たり次第の酒類を胃袋に流しこむことのできる彼らが、ちょっと酸っぱそうなだけのスープを嫌がるのは妙に面白かった。

何はともあれ、そうしてミャンマー飯の片鱗を楽しんだ僕らは、少しばかりの膨満感と共に再びハイエースに乗り込んだのだった。



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ミャンマー旅行記


ミャンマー(その1) - ウォーキング・イン・ザ・リズム
ミャンマー(その2) - ずっと前
ミャンマー(その3) - ブルー・サマー
ミャンマー(その4) - あの娘が眠ってる
ミャンマー(その5) - デイドリーム
ミャンマー(その6) - スマイリング・デイズ、サマー・ホリデイ
ミャンマー(その7) - ジャスト・シング
ミャンマー(その8) - メロディ
ミャンマー(その9) - ロング・シーズン
ミャンマー(その10) - 100ミリちょっとの
ミャンマー(その11) - エヴリデイ・エヴリナイト
ミャンマー(その12) - ゆらめき・イン・ジ・エアー
ミャンマー(その13) - アイ・ダブ・フィシュ
ミャンマー(その14) - それはただの気分さ
ミャンマー(その15) - バックビートにのっかって

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