スキップしてメイン コンテンツに移動

ミャンマー(その8) - メロディ

IMGP8603

ミャンマーの朝はモヒンガーから始まる。モヒンガーを食わずしてミャンマーを語る事なかれ。みたいな言説をあちこちで見かけていたので、何としてでも食わねばなるまいと思っていた。

ナマズ、もしくは川魚から出汁を取ったスープに米粉でできた細く柔らかい麺が沈んでいるのが基本的な形状であり、その他の具材は各モヒンガー屋がそれぞれ創意工夫を凝らして好き勝手突っ込んでいるようで、味は店ごとにだいぶバラつきがあるらしい。

その日、朝っぱらからゲストハウスを探してニャウンウーをウロウロしていた僕らは、街角のレストランでモヒンガーをぱくつくミャンマー人を目にし、するりとその店に吸い込まれた。

僕らがついたテーブルには予め中国茶とカップが置いてあった。朝の陽光がカップについた土埃を露わにする。

IMGP8598

モエ・モエ・ウィン。なんともふざけた響きだが、このレストランの名前である。
メニューと睨めっこしたのも束の間、3人ともやはりここはモヒンガーを注文した。

出てきたモヒンガーは肥沃な泥を抱えてたゆたうエーヤワディー川さながら濁っていて、なかなかのインパクトを感じたが、レンゲで掬ってみたスープはその見た目とは裏腹にさらさらとしたものだった。口に含んでみると、魚臭さはあるもののさっぱりとしている。味は魚由来の出汁が主体の素朴なもので、一緒に煮込まれたであろう何種類かのよくわからない植物がささやかに彩りを加えていると言った感じだろうか。レンゲ一杯分のスープが二日酔いの疲れた胃にじんわりと染みこんでいく様を感じ、思わずほっとした気分になった。箸で啜るよりもレンゲで切って掬ったほうが食べやすい麺はおかゆを連想させるような柔らかさで、これまた優しい。驚くほど美味いものでもないが、これはこれで悪くない。

トッピングとして出されたライムを絞りに絞ってありったけのパクチーを突っ込むと、魚臭さが消えて自分好みの味が完成し、あっという間にぺろりと平らげてしまった。

外を見やると旅行客を載せた馬車がトロトロと走っている。この土埃の舞う灼熱のバガンをあんな乗り物にガタゴト揺られてちんたらまわっていたらさぞ辛いだろう。

朝食を済ませた一行は、件のレストランの近所にある小さなゲストハウスに3人部屋が空いているのを見つけて転がり込んだ。その後、バガン遺跡群をどう巡るかしばし議論したが、朝方のドライバーにその日のアテンドを一任してみることにした。

もらった名刺に書いてあった電話番号に先輩が電話をかけると、彼はすぐに現れた。料金交渉の際に彼が提示した言い値は相場より大分安いものだったので、僕らはふたつ返事で彼の所有する古いハイエースに乗り込んだ。

IMGP8633

彼が最初に連れていってくれたのは、青空によく映える、金光燦然としたパゴダだった。
ストゥーパの先端の周囲をおびだしい数の鳩が旋回している。

IMGP8637

IMGP8640

IMGP8641

綺麗に磨かれた床石の上には地元の人々が集い、その様はこのパゴダがまだまだ現役である事を知らしめた。

IMGP8636

僕の仏教建築についての知識の乏しさはひとつの混乱を引き起こし、僕はこのパゴダを見た瞬間、思わずバンコクのワット・ポーを連想した。しまいには何故か三島由紀夫の豊穣の海の第三巻にあたる「暁の寺」の中で、主人公が目にする夕陽に染められたワット・アルンの描写を思い出しさえしていたのである。



==================
ミャンマー旅行記


ミャンマー(その1) - ウォーキング・イン・ザ・リズム
ミャンマー(その2) - ずっと前
ミャンマー(その3) - ブルー・サマー
ミャンマー(その4) - あの娘が眠ってる
ミャンマー(その5) - デイドリーム
ミャンマー(その6) - スマイリング・デイズ、サマー・ホリデイ
ミャンマー(その7) - ジャスト・シング
ミャンマー(その8) - メロディ
ミャンマー(その9) - ロング・シーズン
ミャンマー(その10) - 100ミリちょっとの
ミャンマー(その11) - エヴリデイ・エヴリナイト
ミャンマー(その12) - ゆらめき・イン・ジ・エアー
ミャンマー(その13) - アイ・ダブ・フィシュ
ミャンマー(その14) - それはただの気分さ
ミャンマー(その15) - バックビートにのっかって

このブログの人気の投稿

やっぱり北千住で魚食うなら「廣正」(広正・ひろまさ)だよねという話

先日、またしても北千住は「廣正」(広正・ひろまさ)で飲んだのだが、相変わらずの信じられないコスパの良さにおったまげた。 JR北千住駅東口から徒歩10分、民家がひしめく薄暗い通りに突如現れる小さなお店に酒飲みの面々が到着したのは20時半。 着席しドリンクをオーダーするとまもなくお通しが現れた。この日のお通しは鶏肉の照り焼きと玉子焼き、わさび漬け的なものにぶり照り。 メニューには様々な魚料理が並んでいるが、全て時価(安い)。 この日は友人が予め予約を入れ、その際に刺盛りを2人前だけ準備しておいてもらうよう頼んでくれていたので、すぐに下駄盛りにされた各種の魚たちが登場。相変わらずとんでもない量と分厚さである。(でも安い) 期待を裏切らない迫力に各々感嘆を上げているうちにお酒が揃ったので乾杯。 赤身です。 ホタテです。 タイです。 赤貝です。 うめえうめえと大騒ぎしながら皆でぱくつきまくっていたのだが、なにせこの料である。刺し身だけで腹が膨れる。 しかし刺し身だけ食べて帰るのもあまりにも勿体ないので寄せ鍋を注文。 これまた2人前なんだけども、やはりボリュームがおかしい。 出汁を沸騰させる間、箸休めにと頼んだのが梅キュウ。 ただの梅じゃなくて梅水晶になっていて、とても幸せな気持ちになります。 やがて鍋が出来上がったのでひたすら食うた。 そしてたくさん飲みました。 当然雑炊にするよね。 おじやが出来るまで、せっかくなので後一品くらい食べてみようとしめ鯖を追加。 こちらもぼちぼち油が乗っていて美味。(しかし安い) そうこうしてる間に雑炊が完成。食い終わった頃には多幸感でとろけましたとさ。 何杯飲んだかよく覚えてないくらい酒も飲み、この料理を食って会計は驚きの3000円台。 一体どうやったらそういう会計になるのかよくわからん。 ごちそうさまでした。   大きな地図で見る

パキスタン - その3: カリマバード、ラホール

▲フンザの中心的な集落であるカリマバードをぶらついていた折に出会った地元の子 翌日早朝、再び例のポイントへと向かって見ると、彼の言うとおり水の流れが止まっており、僅かに車1台が通れるほどの隙間が片付けられていて、僕らはやっとカリマバードへたどり着くことが出来たった。 ▲バルティット・フォートとカリマバードの集落 カリマバードはかつてフンザ王国の藩主が住んでいた。未だにその住居であったバルティット・フォートは修繕を繰り返されながらも当時の姿を留めている。この城塞の歴史は(恐らく)15世紀から始まっておりかなり古い。王の住まいとして当時なりに堅牢で豪華に作られたとは言え、このフンザのあまりに厳しい自然環境の中においてはやや頼りなく見えなくもない。イギリス人達がこの地を訪れた時、この王の棲家を見てどう思ったろう。少なくとも、その国力に恐れおののくことは無かったんじゃないかな、と思ってしまう。冬の寒さを凌ぐために、一部屋辺りの面積を制限したんだと思うが、王や王女が踊り子を招き宴を開くのに使ったという部屋は、僕の住む家のリビングと大差ない広さに見えた。窓から見える渓谷と農村の風景はとびきり美しかったのだが。 ▲カリマバードの小道 登山家の故長谷川恒男氏の奥様が建てられたという学校があるという事で、ぶらりと立ち寄ってみた所、中を見学させてもらえた。それは僕らが日本人だからだったのかもしれない。施設はとても立派なもので、蔵書を眺めてみると英語で書かれた書籍が多く、ジャンルも幅広く取り揃えられている。パキスタンの平均的な僻地の学校と比べると大分恵まれているのではなかろうか(他を見たことがあるわけではないけど)。長谷川氏は、カリマバードからもその姿を拝むことが出来るウルタルのⅡ峰で雪崩にあって亡くなったそうだ。滞在中、何度も山の方を見やるのだが、常にガスっていて全体像を把握する事は結局出来なかった。 ▲レディースフィンガー 一方、いつか見てみたいと思っていたレディースフィンガーはしっかりと目に焼き付けることが出来た。この不気味なナイフのような山は、1995年に山野井泰史氏が独自のルートで登攀したそうだが、途中で食料が尽き果て、ラマダンのように痩せ細ってしまったという。冷たい垂壁に何日間も張り付き、岩雪崩に怯えながら空腹を耐え忍び、ジリジリとてっぺ

電話は4126!!

実は先日誕生日を迎えまして、友人らが誕生祝いを兼ねた旅行を企画してくれました。 私は普段人に不親切なので人からも不親切にされることが多いのですが、こんな私のことを卒業後も忘れないでいてくれるどころか事あるごとに遊び相手になってくれる学生時代の友人らというのは、世の中の親切心を一点に集めたような奇特な存在で、なんというかもう神々しいです。 で旅先なんですが、伊東でした。 二日酔いで重たい身体に鞭打って、正午頃ライドンしたぜ東海道線。 駅弁というアイテムがこれ以上ないくらい手軽に旅行感を演出してくれます。 ビールをぐっびぐび飲んであーでもないこーでもないくっちゃべっていると… すぐ着きました。 伊東です。 駅からマイクロバスで10分程度の場所にあるリゾートマンション的な宿を予約してくれてたんだが、ここがまたウケるくらい広くて腰抜かした。 アホかと思うくらい歩いて辿り着いたよくわからん漁港はいい感じに寂れていてこれまた否が応にも旅行感沸騰でした。 漁港ってなんか猫おおいよね。 宿の晩メシすばらしかった! あとはもう非常によく飲みました。 サプライズケーキ的なものを生まれてはじめてもらった、気がする。 翌日はね、再び昼間から酒飲んだり、高いところに登ったりしましたよね。いやあ爽快でした。 いつまでこういう関係性が続くのだろうとしばしば考えます。 結婚か、はたまた転勤か、もしかしたら病気とか、いろいろなことが影響していつか気がついたら希薄な間柄に落ち着いてしまっているんだろうなあ。 その時の自分は30歳くらいなのか35歳くらいなのか知らんけれども、何はともあれまあそれまではこうして一緒に遊んでくれる人たちのことを大切にすべきなんだろうなあとぼーーんやり感じている今日この頃です。 楽しい週末をありがとうございました。