夕陽を見るのにピッタリとされているシュエサンド・パヤーの急角度な側面を、息を切らしながら登った。見渡すかぎり一面に広がる遺跡群が西日に照らされている。一千年前のバガン朝の人々も同じような景色を目にしていたのだろうか。
多くの外国人観光客がカメラを構えている。このひと時だけ、全ての人々はカメラマンになっていた。
エーヤワディー川の彼方に静かに夕陽が沈んでいく。ちょうどこの時、その川面から水蒸気がゆらゆらと立ち上り、背後に連なる山々の姿が霞んでいった。あまりにタイミングの良いこの幻想的な演出は、まるでもともと仕組まれていたものかの様だった。
夕陽がとぷんと沈むと、他の外国人たちは満足げな面持ちで次々とパゴダを降りていった。彼らは夕陽そのものと、夕陽が直接的に照らすバガンの大地にしか興味がないのだろう。
地平線の下から届く光に焼かれていく空こそが美しく、黄昏時こそがセンチメンタルな旅情を掻き立てるものであるはずだが、彼らとはその感覚を共有できないのだろうか。
これを日本人と欧米人の美的感覚の差異と片付けて良いのかどうかはわからないが、とにかく僕らを残して他の観光客は綺麗にいなくなってしまった。
ぽつんと巨大なパゴダに取り残された僕らは、死にゆく病人の最期を看取るかのように静かに空を見守っていた。
辺りはしんと静まりかえり、鳥の鳴き声さえ聞こえなかった。
やがて、いくつかのパゴダがライトで照らされ始める。(夜にこのオールドバガンをうろつく観光客などいないように思われるが)
静寂の中のトワイライトを堪能した僕らは、闇に沈んだパゴダをそろそろと降りた。
下ではドライバーが相変わらずにこやかに僕らを待ってくれていた。他の観光客が早々に帰路に着く中、だらだらと居座り続けた僕らを待つ間はさぞ退屈であったろう。
「待たせてしまって申し訳ない」という謝罪を「ノーノー!」と遮るように返す彼は、最後までホスピタリティ溢れる奴だった。
彼の運転するハイエースでニャウンウーに帰る道すがら、僕は心地よい疲れを感じていた。
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ミャンマー旅行記
ミャンマー(その1) - ウォーキング・イン・ザ・リズム
ミャンマー(その2) - ずっと前
ミャンマー(その3) - ブルー・サマー
ミャンマー(その4) - あの娘が眠ってる
ミャンマー(その5) - デイドリーム
ミャンマー(その6) - スマイリング・デイズ、サマー・ホリデイ
ミャンマー(その7) - ジャスト・シング
ミャンマー(その8) - メロディ
ミャンマー(その9) - ロング・シーズン
ミャンマー(その10) - 100ミリちょっとの
ミャンマー(その11) - エヴリデイ・エヴリナイト
ミャンマー(その12) - ゆらめき・イン・ジ・エアー
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